会館調査検討委員会委員長 清水 規廣 |
12月20日に予定されている当会臨時総会では横浜弁護士会(本部)会館の大改修を再び行うか否かが議決される。これを前にして、現在の会館を少しでも長く保有し、活用する必要があるとの立場から、今、会館は大規模な間取り変更や模様替え・設備機器の更新などを行わなければならない状況にあることを訴えたい。 |
築40年を経過した会館。新築時の会員数は250名、現在は1200名を超えた。法律事務所も県内へ拡散化した。県民からのニーズも大きくなり、弁護士会の業務内容や量は大きく変わった。これら業務遂行を担う場としての弁護士会館は、床面積不足を来たし、いまやパンク寸前である。増加した職員数のため1階事務室などは酸欠を起こすかと心配する程超過密な労働環境にある。委員会や会合の数に比して会議室が不足している。トイレも旧式で狭く、廊下のスペースも手狭等改善したい箇所も多い。 |
建物は、清掃・点検・補修や機器交換等の定期的な保守を必要とし、10〜15年毎に機器更新や大規模補修を迫られる。当会は、平成7年には約2億7000万円をかけて電気設備空調設備の改修・外壁補修・間取り変更等の大規模工事を行った(入会時に賦課される会館補修資金はこのとき導入された)。平成12年には1階ピロテイー部分を法律相談ブース・事務室・トイレなどに増築し、給水管・消火ポンプ更新などで約6500万円を要した。 |
しかし、会館は再び大改修期を迎えている。とくに空調設備機器(ヒートポンプ方式)は導入から既に16年経過し早急な更新工事が必要である。 |
このため当会館調査検討委員会は、平成18年、今後30年に及ぶ長期修繕計画を策定した。同時に、事務局の増床及び会員の利便のためのスペース増を図るため、昨年7月、当委員会は、1階の法律相談センタースペースを外部に移設することを内容とする大幅な間取り変更案を会長へ提出した(この案は、本年2月の会員集会で賛否両論討議された)。 |
本年7月、小島会長から当委員会へ法律相談センタースペースを一部残した間取り案が示されたので、アドバイザリー契約をした設計事務所や担当副会長らとともに、11月常議員会提案に向けて、目下、リニューアル案、概算額などの検討を重ねているところである。 |
各階の間取り案と大改修の骨子案は、執行部から発表されることになっているが、限られた床面積と資金に対して、事務局の増床を第一として、次にいかに会員の利便・会議室の確保を図るのか悩ましい検討作業を行っている。 |
臨時総会にて大改修を行うことの方向性が議決されれば、来年度定時総会までにさらに工夫を凝らし、また設備・機器・備品などの計画についても詳細を決めて行くので、会員のご理解とご協力を賜りたい。この会館は、それまで裁判所内の弁護士控室に間借りしていたものを、先輩たちが、何年もかけて各方面に働きかけ、ようやく新築して下さったものである。少しでも長く保有し、活用したい。 |
9月22日に、開港記念会館において、日弁連の人権擁護大会第3分科会シンポジウム「患者の権利法の制定を求めて」に先立つ企画として「原発事故の健康影響を検証する」というテーマでプレシンポを日弁連との共催で開催した。 |
当日は雨模様で、参加は70名だったが、内容は非常に充実したものだった。 |
基調講演は、広島で原爆症患者の治療に携わってこられ、現在は福島県において被災者の治療にあたられている齋藤紀医師に、放射線の健康影響について話していただいた。 |
その中で、齋藤医師は、「現時点までの放射線影響は、一部の地域を除き、パニックを起こすようなレベルではない」ことを科学的根拠を踏まえて話される一方、たとえば、チェルノブイリの原発事故後に、甲状腺異常の増加について科学者が事故との関連性を認めようとしなかったこと等を踏まえつつ、科学や政治に対する信頼が取り戻されることの必要性を強く訴えるなど、冷静に、かつ熱く語っておられたという印象が強く残った。 |
引き続き、原爆症認定訴訟に関わり、当会の震災災害対策チームの事務局長を務める小賀坂徹会員の司会により、齋藤医師、福島県から川崎に避難されている被災者2名の方、さらには、当会の姜文江会員を交えて、率直に疑問や思いをぶつけ合ってもらった。 |
とりわけ印象的だったのは、福島から避難されている被災者の方が、子供を守るために、福島に大切な家族を残して避難された心情を語られたことで、その葛藤は、聞いていて胸の詰まるものであった。 |
もう一つ、非常に印象的だったのは、同じ被災者同士で、福島から避難している人達と残っている人達との間で、現状の捉え方にずれが生じつつあるという話だった。 |
放射線の健康影響に関する情報のあり方に注意を払うことはもちろんだが、同じ原発事故の被災者が引き裂かれている現状と、半年経ってもまったく見通しが立っていないことについて、人として、弁護士として何かしなくてはならないと強く感じた集会であった。 |
(会員 折本 和司) |