横浜弁護士会新聞

2011年10月号  −1− 目次 

サマースクール2011 裁判所の法廷で中高生約60人が模擬裁判を熱演!
 8月2日、当会、横浜地方裁判所および横浜地方検察庁の共催により、サマースクールが開催された。サマースクールは、神奈川県内の中高生を対象に、法的なものの見方や考え方を身に付けてもらおうと、当会が毎年開催しているものであるが、裁判所及び検察庁との共催は今回が初めてとなる。
 入学式での小島周一会長及び校長を務める高蝸ヌ作会員の挨拶の後、法律事務所、裁判所及び検察庁の見学が行われた。裁判所では、裁判員に選ばれたという設定で、質問手続室、101号法廷などを見学した。生徒たちは法服を着て、法廷の裁判官席に座る機会もあり、めったに経験のできない体験に目を輝かせていた。検察庁では、証拠保管庫や日直取調室の見学を行い、検察庁の仕事についてのレクチャーがなされた。また、法律事務所見学では、当会会員より弁護士の仕事や役割などについて説明がなされた。
 午後には、横浜地裁の法廷で模擬裁判が行われた。法廷での模擬裁判は、横浜地裁との共催により今回初めて実現したものであり、生徒たちは実際の法廷の緊張感を味わいながら、被告人の窃取の意思の有無が争点となっている建造物侵入・窃盗未遂事件について、裁判官、検察官、弁護人それぞれの役を熱演した。
 模擬裁判が終わると、5名ずつのグループに分かれ、判決に向けて評議へ入った。被告人に窃盗未遂が成立するか否かについて、それぞれが証拠を検討し、活発な議論がなされた。各グループには当会会員が担任として議論のサポートを行ったほか、裁判所からは大坪所長はじめ裁判官4名が、検察庁からは検察官2名が生徒たちの議論に耳を傾け、アドバイスがなされた。評議終了後には各班から結論と理由が発表され、生徒たちの多数意見に基づき、横浜地裁の裁判官による判決言渡しがなされた。
 生徒たちからは「本物の法廷で模擬裁判をすることができ、緊張したけれど、とてもよい経験になった」、「弁護士、裁判官、検察官の話を直接聞くことができ、法律家の仕事に興味をもった」、「評議では他の人から違う意見が出て、色々な面から物事を見ることが大切だと思った」といった感想が寄せられた。
 今回で5回目となるサマースクールであるが、裁判所および検察庁との連携も年々深まっており、生徒たちが法や司法を理解するのに大変有意義な機会となっている。今後も、両庁との連携を継続しつつ、法教育の普及につながるイベントを企画していきたい。
(法教育委員会副委員長 糸井 淳一)

「原発安全神話はどう作られたか」 マスメディアと司法の責任を考える講演会
 マスメディアや司法は、なぜ、福島第一原発事故が起きるまで、原子力発電が抱える危険や施設の欠陥に十分な警鐘を鳴らすことができなかったのか?─原発の「安全神話」づくりに加担してきたマスメディアと司法の責任について考える講演会が8月4日、元朝日新聞経済部記者の志村嘉一郎氏を講師に招いて開かれた。
 「東電帝国その失敗の本質」の著者でもある志村氏は1970年代、朝日新聞で電力担当記者を務めた。
 志村氏によると、東京大学などの研究者・研究機関が原発の安全性に科学的なお墨付きを与え、それを通産省(現経済産業省)や電力会社が引用し、マスメディアや外郭団体が国民に宣伝し、「安全神話」が浸透していったとのことであった。さらに、同氏は「全国各地の原発を見て回り、『五重にも六重にも安全対策が施されています』と職員の説明を受け、自分も『洗脳』され、安全神話を信じ込んでいました」と述べた。
 志村氏は、74年、東京電力で「天皇」といわれた故木川田一隆会長の音頭で、原発に最も批判的だった朝日新聞を懐柔しようと、電気事業連合会の広報予算で、初めて原子力のPR広告を掲載させたエピソードを紹介し、朝日新聞が原発を肯定する論調に転じていった経過についても説明した。
 志村氏は、高速鉄道脱線事故の原因を落雷のせいにしようとした中国の鉄道省と、福島の事故を「想定外」の津波のせいにしようとする日本政府・電力会社の対応は全く同じだと指摘し、現在もなお、地震と津波によって、どこが、どのように破損したのかなど事故のプロセス、原因を検証しようとしない政府・電力会社を批判した。
 続いて、当会の櫻井みぎわ会員が、原発差止訴訟の歴史を紹介した。
 同会員によると、最高裁判所は、柏崎刈羽訴訟では法律審という建前を貫き、原審口頭弁論終結後に発生した新潟中越沖地震で設計時の想定を超える揺れが起きたという事実を考慮しなかった一方で、もんじゅ訴訟では住民勝訴の高裁判決が認定していない事実を認定して判決を覆した。このような両判決の矛盾について、豊富な資料により解説されたのが、特に印象的であった。
(会員 北神 英典)

山ゆり
 夫の実家に帰省した際、美しい掛け布団を発見した。聞けば夫の母が嫁ぐ際、姑が自分の訪問着をほどき、仕立ててくれたものだとのこと。またまた「着物好き」モードにスイッチが入ってしまった
今からそう遠くない昔、多くの女性達は和裁の心得があり、着物に手を入れて着回すことは当然であった。派手になったり傷んだりした着物は帯や羽織に仕立て替えられ、その後子どもの半纏や座布団になり、最後の最後は細く裂かれて裂織(さきおり・細く裂いた布を織りあわせて作る布地)の材料になった。エコそのものである
今では着物を着る人が激減し、そのような「始末」や「工夫」も日常生活から遠いものになってしまった。「断捨離」が生活術のキーワードになり、どんどん買ってどんどん使い捨てることが当たり前になっている。しかし、そのことに疲れを感じているのは私だけだろうかさつまいも
時代に逆行しようとも、古き良き生活の知恵を大切にしたい。件の掛け布団を見てそのような思いを強くし、鉄は熱いうちに、と和裁士の主宰する仕立て教室に入門した。早速運針でつまずいているが、夢は大きく「和裁士兼弁護士」。是非なれるようにがんばるぞ。
(須山 園子)

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