会員 武井 共夫 |
1995年5月のある日、警視庁から、刑事事件で勾留されているオウム真理教信者の被疑者が私に弁護を依頼したいと言っているという電話が入り、大変驚いた。
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一家で被害にあった坂本堤弁護士は、当時私と同じ事務所の6年後輩であり、事件発生後、私はオウム真理教被害対策弁護団の一員として、一貫してオウム真理教と対峙していた。5月は、私が神奈川県警による自宅の24時間警備を受けている最中で、週に10数回テレビに生出演している頃でもあった。
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私に依頼したいという被疑者は、若い女性であるせいもあってか、マスコミからも注目されている有名人であった。彼女は逃亡中にテレビを見て私を知り、勾留中に私のことを思い出して依頼する気になったそうである。
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依頼を受けるかどうかは私も悩んで被害対策弁護団の仲間と相談し、(1)マインドコントロールされて犯罪に加担させられた元信者は被害者でもある(2)凶悪犯罪の主要な実行者ではない(3)教団での地位も低い(4)本人に確認したところ、脱会の意思が堅いなどを総合的に判断して弁護人に就任した。
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私が弁護人に就任する前は、教団から派遣された弁護士らが接見に行っては、紙に書いた教団の指示を見せて彼女に伝えていたようであるが、私の就任と同時に彼らは解任され、私は足繁く東京に接見に通って彼女が何故オウムに入信してしまったのか、オウムの活動とその後の犯罪をどう考えるかを話し合い続けた。
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そして9月末に第1回公判が開かれ、私は、意見陳述で、(1)オウム真理教の組織犯罪の実態(2)理想に燃えて社会貢献を志していた被告人が限界を感じて入信して盲信・出家し、幹部の指示の下で犯行に加担させられていったこと(3)被告人が与えた被害の重大性を真に認識し、それを償って社会復帰できるかどうかを法廷全体で見守り、応援してほしいことなどを述べた。
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この公判は、マスコミでも大きく報道され、傍聴していた直木賞作家の佐木隆三氏からは、「オウム法廷」と題する傍聴記で、私の意見陳述を「感動的であり、……初めて弁護活動の真髄にふれた思いがした」との過分なお褒めの言葉を頂戴した。
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11月に開かれた第2回公判もマスコミの注目を浴び、被告人質問の最中はテレビカメラが入れないので、私と被告人との一問一答をテレビで俳優が再現するなどし、被告人の涙ながらの供述には、佐木氏も「終いにはわたしも泣いてしまった」と書いている。
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12月の最終公判で、私は力を込めて執行猶予を求める弁論を行ったが、翌年1月の判決は実刑判決であった。
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控訴期限内の2月のある朝早く、東京拘置所に最後の面会に行き、午前中に控訴をしないとの結論が出たが、午後も面会を続行し、オウムのことやこれからの人生について時間が経つのも忘れて面会時間ぎりぎりまで語り合った。
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その後彼女は服役し、出所後挨拶に来てくれてまた語り合い、辛いこともないわけではなかったようだが、今は無事社会復帰して幸せな生活を送っていると聞く。
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私にとって、生涯忘れられない事件の一つである。
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