会員 大木 孝 |
平成19年3月19日に就任して4月1日に解職の辞令をいただくまで、約3年間の務めであった。 |
この間の様々な出来事については、「和光だより」として当会メーリングリストに投稿したとおりなのでご覧になった方も多いと思う。 |
就任当初は、さすがに教官合議・採点添削・講評準備など今まで経験していなかった作業にとまどうこともあったが、なに慣れてしまえばどうってことない。 |
巷では、教官に就任した3年間は「懲役3年罰金3000万円」などとまことしやかに喧伝されているが、私にとって「懲役3年」の実感はまるでなかったし、当会や県西支部から様々なご支援をいただき事務所のみんなにも助けられて、特に食うに困るということはなかった。 |
何よりも、自分の考えを後輩達に伝えることが出来るという喜びの方が、数段上回っていたことが大きい。 |
ところで、現在のカリキュラムは、我々の頃のようにゆったりとした余裕はなく、なぜか学び急いでいるという印象が強い。起案などに追いまくられてしまい、折角同じ釜の飯を食いながら、修習生同士、将来の法曹界や未来の自分について語り合う時間がほとんど無いような気がする。 |
また、集合修習期間が2か月弱と短いことに加えて、1クラス70名前後であるから、おそらく彼ら自身でさえクラス全員の顔と名前が一致しない事態になっていると思われる。むしろ、和光よりも付合いが長いロースクール同窓生や実務修習地の班で固まる傾向が見られた。 |
私自身はできるだけ古き良き時代に近づけて、修習生と本音を語らう時間を設けようと努力したつもりではあるが、傍からは単に飲んだくれていたように見えたであろう(実際そのとおりであるが…)。 |
私の方も、講義を受けてくれた7クラス439名全員の名前と顔を覚えているかと問われるとそれは無理な話。 |
前期後期の2回教えた現行62期4組の65名はかろうじて覚えていても、それ以外のクラスは、特に目立った者や出来る奴・出来ない奴は覚えているが、あまり目立たなかった者たちはなかなか覚えられずに終了してしまったようである。 |
ちなみに教え子の中で一番多い苗字は、中村君(さん)で何と8名もいた。続いて吉田君(さん)の6名が2位。 |
以下、井上・小林・鈴木・田中君(さん)の5名、加藤・佐藤・高木・西村・林・前田・山口・山田君(さん)の4名が続く。 |
この他、3名や2名となると、うじゃうじゃいるのである(ほら、これだけ見ても顔と名前を覚えるのが大変だと分かるであろう)。 |
さて、教官の任務は終了したが、実は今年度の司法修習委員の委嘱を受け、また夜間講義で「準抗告」について教えるなどまだまだ修習生との縁は切れずに続いている。
これからも、和光の外から何らかの形で修習生に関わって行きたいと思っている。 |
その際、私の3年間の教官経験が、ここ横浜で実務修習を送る者たちに少しでも役立つように努力したいと思っている。 |
3年間本当に有難うございました。 |