「なぁ、裁判員制度って何?」 |
横浜事件の免訴判決が出て、しばらく経ったある日、突然妻にこう聞かれた。普段からおよそ新聞も読まず、ニュースも見ない妻だが、どこかで聞きつけてきたのだろう。これをきっかけに夫の仕事にも興味をもってもらうべく、一通り説明をしたら一応理解はしたようだった。 |
「なんとなくわかった。でもどっちにしろ人が人を裁くんだから常に正しいとは限らないよねぇ」 |
そう言い残して妻は家事に戻っていった。実は横浜事件のこともあって、この妻の言葉に少し考えさせられたのである。 |
確かに完全無欠ということは人間である限りありえないことだ。司法においても同様で、行政であれ、立法であれまた同じである。だからこそ民主主義の仕組みの前提は、「統治権力は間違う」という認識なのだ。 |
とすれば、デュー・プロセス・オブ・ローで手続きを縛るのと同時に、統治権力が誤ったときに、率直に過ちを認めることや、どのような救済措置がなされるか、という事が重要なのではないだろうか。 |
横浜事件は公判で被告らの名誉回復がなされることはついになかった。法理ではそうなって仕方のないことなのかもしれない。無罪は不可能なのかもしれない。けれども当時の裁判が誤っていたことをきちんと公式に認定することは、かえって司法に対する信頼を増しただろうし、それはおそらく正義の達成にもなったのではないだろうか。 |
司法も間違える時がある。司法はその時どのように対処するのかが、きっと民主主義にとって重要なのだ。横浜事件と妻の一言に、そう考えさせられた。 |
(日本テレビ 有田 和生) |