会員 木村 良二 |
会員諸先生の熱い支持をいただいて、2008年4月に就任してから、あっという間の1年間であった。ご支援に感謝しつつ振り返ってみたい。 |
職務の遂行にあたり特に意識したのは2点ある。(1)横浜弁護士会・十県会と日弁連の架け橋となろう(2)担当委員会と日弁連執行部との円滑な連携を図ろうという点である。 |
(1)については、この年度には、十県会の50周年記念行事、関弁連定期大会、日弁連野球全国大会、第2回関弁連地区別懇談会と横浜開催が目白押しであり、大変機会に恵まれた。また、横浜の存在感を高めたいという思いから、何人かの会員を推薦して日弁連の嘱託や重要なプロジェクトチームに参加してもらい、好評であった。この数年のうちには横浜から日弁連次長を、さらに10年くらい後には最高裁判事を出したいと夢はふくらむ。 |
(2)については、委員会のモチベーションを高め、そのエネルギーを最大限に引き出すことを目標に、黒子役、応援団に徹しようと考えた。特に専門外の消費者問題など、執行部の了解・承認を速やかに取り付けて協力・支援体制を固めることに専念した。一定の成果は上げられたのではないかと自負している。 |
堅い話ばかりで恐縮だが、我々の仕事は、どうしても理屈にこだわるものである。しかし、最後にものを言うのはやはり人間関係に尽きると思う。誠心誠意取り組めば自ずと道は開かれるはずである。私の場合、担当委員会の主なメンバーや事務局との人間関係ではとても恵まれた。また、傑物の会長はもとより、12人の副会長仲間に巡り会えたことは私の大きな宝となった。このような仕事をさせていただき、会員諸先生には感謝してもしきれない思いで一杯である。 |
ところで、昨年3月の日弁連代議員会における就任受諾挨拶の中で、私は、全身全霊を捧げるという訳にはいかないが半身くらいは捧げたいと述べた。横浜選出の副会長は常勤でしょ、と言われることへの反発もあったが本音でもあった。今、手帳を見ると、この1年間のウイークデイの中で日弁連に全く出なかった日は合計41日、8月に7日分出なかったので他の月の平均は3日程度となる。逆に、私が出席すべきシンポや大会などが土曜日に開かれたのは1年間で26回あり(移動日を含む)、また、弁連大会で10泊したほか、連日の会議や朝7時台の朝食会などのため、私の宿泊日数は延べ53泊であった。 |
さて、私は、持てる力の何割くらいを捧げたと評価されるのであろうか。 |