横浜弁護士会新聞

2009年1月号  −3− 目次

冷たい雨と熱い応援 日韓交流サッカーin水原
 昨年11月15日、水原ワールドカップ競技場第1サブスタジアムにおいて、水原地方弁護士会蹴球会(水原チーム)と横浜弁護士会サッカー部(横浜チーム)との交流試合が行われた。
 当日は、あいにくの冷たい雨であったが、当会の武井共夫会長、小賀坂徹副会長、齋藤佐知子副会長等の熱い応援のもと、試合が行われた。
 試合形式は、20分3本勝負で行い、その合計得点で勝敗が決まる。
 1本目には、横浜チーム創設後の初得点(11年前)を挙げている、小賀坂副会長がMFで出場。11年ぶりのゴールが期待されたが惜しくも得点ならず。
 逆に、横浜チームのパスミス等から水原チームに2点を奪われる苦しい試合展開となる。
 2本目には、横浜チームも反撃に転じ、開始15分、前田八郎会員が左斜め45度の位置から相手ゴールに突き刺さる豪快なミドルシュートを決め、追い上げムードのまま終了。
 2本目の終了後には両弁護士会の代表によるPK戦が行われた。水原弁護士会曽会長のPKを某会員がナイスセーブしてしまうというハプニング?もあったが、武井会長、小賀坂副会長、鈴木建会員がPKを決め、当会が3対2でPK戦に勝利した。
 そして、この勝利の勢いのまま、3本目へ。開始5分、右サイドを駆け上がった石山晃成会員がゴールライン際の角度がない位置からシュート。このシュートにはキーパーも反応しきれず、そのままゴールに吸い込まれ、同点に追いつく。
 一気に逆転ムードかと思われたが、逆に水原チームに2点を入れられてしまい、終わってみれば2−4の惨敗。
 これで、水原チームとの対戦成績は、2勝2敗1分となり、全くの五分。
 今年は、横浜で水原チームを迎え討つことになるが、絶対に負けられない戦いになりそうだ。
(会員 小花 和史)

理事者室だより8 年明けを迎えて
副会長 川島 俊郎
 理事者の任期も残り3か月程となり、ようやくゴールが見えてきたというところか。思い返すと、前執行部の面々は、年明けには、皆、晴れ晴れとした顔をしていたように思う。
 しかし、今のところ、私には、そのような「晴れ晴れ感」に浸る余裕がないのはなぜだろうか。そういえば、前執行部は臨時総会を年内に開き、重要案件を処理し終わって新年を迎えていた。
 それに比べ、今期は、年明け後にも1月30日に会員集会、2月25日に臨時総会が予定されており(※会員の皆さん、是非、日程を空けておいて下さい!)、まだまだ重い課題を残していたではないか。
 まして、私の場合、会計担当であることから、来期の通常総会で決算報告を承認してもらうまで、心底、「晴れ晴れ感」に浸ることはできそうもない。時の流れは大方において速いが、希にして遅いものである。
 会員の皆様、今年もよろしくお願いいたします。

新人弁護士奮闘記 新人の気持ちを忘れずに
会員 長谷川 篤司 
 弁護士になった直後、座右の銘を訊ねられたことがある。当時私には座右の銘などなかったのであるが、その時、今後肝に銘じておくべきことは何かと考えて、「初心忘るべからず」と答えた。たとえ経験を積んだとしても、偉そうな態度を取ることなく、常に依頼者の立場になって親身に相談に乗ってあげようという初心を持ち続けるべきだと思ったのである。
 しかし、その後初心を忘れてしまっている自分にしばしば気付かされた。遺留分減殺請求事件を担当したことがあった。依頼者は不動産を相続できないが、価額弁償を得ることで交渉がまとまりつつあった。得られる金額は交渉の結果、遺留分額を上回る額となった。私は依頼者に「いやあー良かったですねぇ!」と得意満面に報告したがこれが失言であった。
 後に依頼者から苦情の言葉をいただいた。「私は子どものときから住んでいた愛着のある家を出る羽目になるのです。お金を多目に得られたからといって、素直に良かったという気分になれるはずがないではないですか」と。私はいつの間にか金銭の損得勘定のみで成功失敗を判断するようになってしまっていた。全然依頼者の立場になることができていなかった。
 また、ある時、法廷で書面が見当たらず、あたふたしたことがある。出廷前に書面のチェックをしておくのが本来の姿であろうが、今の私がそのように改善されたかというと、そうでもない。書面が見当たらなくてもあたふたしなくなったという程度に変化しただけである。態度が大きくなっただけで成長どころか退化と言うべきかもしれない。
 何と初心を忘れがちなのであろうか。
 弁護士になって早いもので2年が経とうとしている。そろそろ新人と呼ばれることに抵抗を感じるようになってきた。ただ新人の時の気持ちだけは忘れてしまわないように心掛けていきたい。

新こちら記者クラブ 裁判員制度の憂鬱
 先日、タクシーに乗った時の事だが、50歳位の運転手が「以前、女性アナウンサーを自宅まで乗せたんですよ」と話しかけてきて、運転手はアナウンサーの住むマンションが近づいた際には、わざわざここですよと教えてくれた。特に興味もなかったので私は適当に相槌をしておいた。この時、運転手には何の悪気もなく、ただ同業者の私が乗ったことで気を許し、思わず軽口を叩いてしまったのだろう。
 この経験から言うわけではないが、記者をやっていると「人はおしゃべり」ということをつくづく痛感する。それが悪いことではないし、記事は極論を言えば、おしゃべりの積み重ねでできているともいえる。そして、この「人はおしゃべり」という習性を脅かす制度が今年から始まる。裁判員制度だ。
 この制度では裁判員に選ばれた国民は評議の内容に関して一生守秘義務を負うという。例えば、私の両親が裁判員に選ばれたら…。おしゃべりな2人に守秘義務は重くのしかかる。2人の団欒はどう変わってしまうのだろう。何でも話せるのが家族なのに。ぎくしゃくするのが容易に想像できて正直怖い。
 私は今まで裁判員制度に賛成する一般の国民に会ったことはない。逆に反対する法曹関係者にも会ったことはない。きっとこの制度の中心に国民はいないのだろう。「裁判員に選ばれました」といういわゆる“赤紙”が誠に身勝手だが、私の家族や友人などに届かないことを私は希う。法律でどう縛っても“人の口に戸は立てられない”のだから。
 (フジテレビ 生野 公司)

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