5月16日に、精神病離婚をテーマとして開催された、研究会の要旨を報告する。 |
離婚原因としての精神病 |
精神病は、ヨーロッパで離婚法が有責主義から破綻主義へ移行する際に離婚原因として登場した。精神病は、いずれの当事者にも責任のない破綻原因の典型だからである。これを離婚原因とする実質的な理由は、夫婦の一方が精神病になり、夫婦間に精神的交流が失われ、婚姻が形骸化しているような場合に、他方の健康的な配偶者をいつまでもそのような婚姻に縛りつけておくのは人道的にも酷であり、健康的な配偶者の幸福を重視する必要がある、という点にある。 |
我が国においては、明治民法以前、少なくとも明治前期までは、夫の不治の精神病を理由とする離婚請求が認められていた(元来離婚が容易に認められるという風土があったうえに、明治になり妻の地位を向上させるという配慮が働いたと言われている)。もともと夫から妻への離婚は理由のいかんを問わず一方的に認められていたので、妻の精神病は問題にならなかった。 |
ところが、明治民法の起草過程で、草案にあった精神病離婚の規定が削除されるに至った。その理由は、専ら妻からの離婚請求を念頭に置きつつ、夫が精神病になったからといって妻が勝手に離婚できるというのは不道徳である、という点にあった。 |
日本が第二次世界大戦に敗戦した後、民法改正の際に、GHQの関与のもとに精神病が離婚原因として掲げられた。これが、民法改正770条1項4号である。 |
判例の考え方 |
最高裁の判例(最判昭和33年7月25日民集12−12−1823)は、精神病を理由とする離婚の要件として、「強度で回復の見込みがない精神病」に加えて「具体的方途」の存することを求めている(いわゆる「具体的方途説」)。仮に配偶者の一方が不治の精神病に罹患していたとしても、「諸般の事情を考慮し、病者の今後の療養、生活等についてできるかぎりの具体的方途を講じ、ある程度において、前途に、その方途の見込みのついた上でなければ」離婚は認められないとするのである。 |
この判例の立場は学説的にはきわめて不評であった。病者の療養・生活について具体的方途を講ずべしといっても、そのような手段は、現行裁判離婚手続には認められておらず、仮に「その方途の見込み」がついていたとしても、それを強制する方法もなく、家庭倫理のあるべき姿を前提として、裁判官の主観的倫理観により、妻の精神病を夫は忍従すべしとされた嫌いがあり、現行法の解釈としてきわめて疑問であると非難されている。実際、調査官からも、破綻主義の採用が骨抜きになるおそれがある、との指摘がなされている。 |
しかし、最高裁はその後も具体的方途説を維持している。ただ、具体的方途の存在を要件としつつも、基準は緩和されているのではないか、という調査官の指摘もある(たとえば、最判昭和45年11月24日民集24−12−1943に関する調査官解説)。 |
立法の動向 |
「民法の一部を改正する法律要綱案」(1996年1月16日法制審議会民法部会、ジュリ1084−126)において、精神病離婚は削除された。 |
精神病離婚削除の経緯は、「婚姻制度などの見直し審議に関する中間報告」(1995年9月法務省民事局参事官室、ジュリ1077−167)では、次のように説明されている。 |
1994年7月に公表された「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」では、精神病離婚の規定は維持されていた。ところが、試案公表後、この規定は、回復の見込みがない精神病を婚姻関係の破綻の例示として掲げるものであるが、このことは、精神障害者に対する負のイメージを強調することになるおそれがあるためこの規定を削除し、右の事由については抽象的離婚原因(婚姻関係が回復の見込みがない程度に破綻しているとき)の一事由として考慮するのが適当ではないかとの問題提起がなされた。 |
沿革的にみれば、現行法の精神病離婚の規定は、有責主義離婚法から破綻主義離婚法への移行の象徴としての性格を有していた。しかし、諸外国の法制は(イギリス、ドイツなど)、破綻主義の進展に伴い、婚姻関係の破綻を唯一の離婚原因とし、精神病については、離婚原因としてのみならず、破綻の徴憑としての取扱もしない方向に進みつつある。こうした比較法的考察からは、精神病離婚の規定は、破綻主義の象徴としての歴史的役割を終えつつあると言うことが出来る。
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こうしたことから、「婚姻制度等の見直し審議に関する中間報告」は、現時点において精神病離婚の規定を存置しておかなければならないとの必要性は認められず、むしろ、精神障害者に対する差別感情の助長のおそれがあることや、精神病を正面から離婚原因とすることによる当事者のプライバシー侵害のおそれをも考えれば、この規定を削除し、回復の見込みがない精神病を抽象的離婚原因の一事由として考慮するのが適当である、と結論づけている。
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(会員 杉本 朗) |