横浜弁護士会新聞

2006年6月号  −2− 目次

常議員会正・副議長就任 挨拶

おしゃべりな議長
議長 武井 共夫
 4月13日の第1回常議員会で、議長に選任されました。期が現会長の1期下でもあり、そろそろ議長らしい落ち着きを備えてきているだろうと考えられたのでしょうか?でも、実は、私は、おしゃべりです。
 私が初めて常議員になったのは登録2年目の昭和57年度です。副会長時代に当時の議事録を見る機会がありましたが、恥ずかしくなるほどに実に自由闊達にしゃべっていました。
 今回議長に選任された後、早速同期の会員から、「武井さんは、おしゃべりだから議長に向いているかどうか心配だ」と言われてしまいました。
 でも、自分のおしゃべりを活かして常議員会の活性化を図れないだろうかと考えています。
 登録1年目2年目の57期58期を初めとする若手常議員も、嘗ての私以上に自由闊達にしゃべれるよう、また20期台を先頭とするベテラン常議員や40期台前後の中堅常議員の力も十分に発揮できるよう、自らおしゃべりをしながら活発な議論ができるような雰囲気を作り、常議員会に持ち込まれる数々の難問を解決すべく、私同様黙ることが苦手な副議長と力を合わせて頑張りたいと思います。1年間よろしくお願いいたします。
アクティブな副議長
副議長 小島 周一
 常議員会副議長に選任されました36期の小島周一です。常議員はこれで4度目となります。とにかく、36期は、10人中副会長を7人も出すなど、弁護士会にとても貢献している期なのですが、またまた貢献ポイントをアップさせたかなと思っています。
 議長は議事進行の責任者ですから、その仕事内容がイメージしやすいのですが、副議長というのは、私の記憶を辿っても、「会議の間中、黙って議長の隣に座っている人」「常議員会速報を作る人」というようなイメージしかありませんでした。それなのに常議員会前の打ち合わせには議長と同じ時間に出なければならないのです。発言したくない人にとってはとても楽なポジションかもしれませんが、時々発言したくなってしまう私のような者には、あんまり面白くないポジションだなあというのが事前のイメージでした。
 でも、図らずも副議長になってしまったので、せっかくですから、常議員会速報をちゃんと、たまには少し面白く作り、ときには「慣例」を破って発言もする副議長になってみようかななどと思っています。
 1年間よろしくお願いします。

私の独立した頃(106)
「いわれなき起訴に天も泣く…」
本田 敏幸会員
 私は、昭和55年4月1日から、29期の同期の箕山洋二先生の紹介で、同先生の父君の箕山保男先生の隣である、本町1丁目3番地本町旭ビル2階に事務所を構え、独立した。
 もっとも、昭和52年4月1日から私は南仲通2丁目25番地の関内守谷ビル5階で事務所を構えていた鈴木孝夫先生の元で2年間イソ弁をし、3年目には同事務所内で独立しており、晴れて55年に鈴木事務所の外に、自分の事務所を構えることができたのである。その後昭和57年になって、5人もの人を殺したという殺人事件に関与することは、全く予想だにしていなかった(同事件は昭和63年に1審が終了した)。
 私は、39歳で弁護士となったが、それまでの苦学生としての経験を生かし、依頼者の民事や刑事の相談には、とにかく依頼者の話をよく聞くということが、私の仕事であった。しかし法律理論はあまり好きではなく、もっぱら法律的感性というべきもの、すなわち、私の39年間の苦学と貧乏生活の結果から得た、直感というものが頼りであったし、弁護士歴30年になる今でもそのスタンスは変わっていない。
 刑事事件では、無罪を争う事件も大切であるが、被告人に優しく語りかけることなど、傍聴人にも分かりやすくなるように、情状弁護に私はひとかたならぬ情熱を注いだ。
 そして、刑事裁判におけるあの堅苦しさを少しでも柔らかなものにできないかと思っていたところ、独立したのを契機に、鈴木孝夫先生には、直接迷惑がかからないとの配慮のもとで、あるとき実行に移したことがあった。
 すなわち、被告人の無罪を主張する冒頭陳述において、その日は雨が降っていたことに掛けて、今となっては正確な言葉は覚えていないが、「被告人は、無罪にもかかわらずこうしていわれなき起訴をされてしまい、天も被告人に代わって泣いてくれております」旨の陳述をしたのであった。
 その後次回公判の際、廊下で時間を待っていたときに、担当検察官が側にやってきて「今日は晴れていますね、今日は被告人のために何と言うのですか」とにこやかに語りかけて来られた時には、思わず照れるしかなかったが、それなりの反応を示してくれたことで、私は内心ほっとしたものであった。
 これには又後日談があり、担当裁判官が修習生に対して、「天も泣くのはいいけれど、被告人の顔を見て話したらどうか」と冗談っぽく感想を語られたということをその後弁護士となった人から後になって知らされたものであった。
 私が独立した頃は、長男と(昭和49年生)次男(昭和53年生)がいて、よく野毛山動物園に連れてきたものであるが、妻は、当時婦人有権者同盟の事務局に働いており共働きであった。私はそれなりの仕事をこなしながら、当時は鈴木孝夫先生や楠田先生から、よくマージャンも習っていたような気がする。時に朝帰りとなり妻に水を掛けられたことも、今では遠い思い出である。
 私は独立してからも、弁護士会の会活動には積極的に係わってきた。昭和54年に行われた、元横浜家庭裁判所所長の三渕嘉子先生の「少年法改正問題」に関する講演の際、委員であった私は、講演を録音し反訳した記録を今でも所持しているのが、不思議な思い出である。
 独立して今日までこれといって、大きな事件もなく、普通の事件を精一杯こなしている。

専門実務研究会紹介(9) 遺言・相続研究会 謎の相続法
杉本 朗会員
 遺言・相続研究会は、その名のとおり、民法典の第5編に関わることを守備範囲とする研究会である。相続法の分野は、弁護士であれば大概は扱う分野であるし、世間一般的にも弁護士は相続についてよく知っていると思われている節がある。
 しかし、一歩踏み込んでみると、相続法は分からないことだらけである。一つには、私たちの(私だけかもしれないが)方に問題があるのかもしれない。大学できちんと相続法について勉強したことというのはあまりないだろうし(少なくとも総則・物権・債権ほど熱心には勉強していないような気がする)、司法試験に合格するという観点から合目的的に親族・相続は捨てているからである。
 ただ、必ずしも私(たち)の側にだけ問題があるようにも思えない。相続法の領域には、必ずしも考え抜かれていないテラ・インコグニタ(未開の大地)が広がっているように思えるのである。なんでそんな条文が置かれているのか説得力のある説明がないようなものや、総則・物権・債権との整合性があるのかないのか分からないようなものもある。必ずしも学者の分析が深化していないような感じを受けるところもある。
 遺言・相続研究会は、そうした領域にのりだそうとする研究会である。大きく分けて、ゲストスピーカーによる学習会と、会員の研究報告の2本立てで行なっている。
 昨年度、会員が行なった研究報告は、『代償財産は遺産分割の対象となるのか』『推定相続人の排除(大阪高決平成15年3月27日家月55・11・116)』『相続回復請求権について』『死亡保険金請求権と特別受益の持戻し(最決平成16年10月29日民集58・7・1979)』『相続開始から遺産分割までの間に共同相続にかかる不動産から生ずる賃料債権の帰属について(裁判所時報1395・4)』である。
 ゲストスピーカーを迎えての学習会は、一つは家族法研究会とのジョイント企画として近藤ルミ子裁判官をお招きして人事訴訟法についての学習会を行なったほか、信託銀行のコンサルタントをお招きして遺言信託と遺言作成時の留意事項についての話をうかがった。
 今年度もこの2本立ての構成で行く予定である。今年度は、まず調停委員の先生をお招きして、調停のあれこれについてお話をうかがう予定である。
 相続法は渾沌とした分野であるだけに、少し勉強すればエキスパートの一人になれる可能性を秘めた分野である(あくまでも「可能性」だが)。ぜひ皆さんの参加を歓迎したい。

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