会員 大木 章八 |
私は昭和42年に当会に入会し、弁護士になって約40年になるが、元々私は精至詳細な法律論を展開するのが苦手で、どちらかというと制度論のような事が興味の中心となっていて、皆様の参考になるような事件が特にないので、業務雑感を記すことをお許し願いたい。 |
ただ一つ述べるとすれば、中小企業の新株発行無効事件について最高裁で勝訴を勝ち得た事件である(判例時報1653号143頁)。 |
本件は、会社の支配権の争いを背景として代表者が公告等をせずに密かに新株を発行したという事案であったが、一審勝訴、二審敗訴で上告したところ、最高裁より弁論開催の通知を受けた。これを受けて、応援してくれていた当会の藤村耕造会員、伊藤信吾会員、高橋温会員と4人で最高裁小法廷の弁論に臨んだが、その体験は初めてだったこともあり印象深かったことを覚えている。 |
会務については平成3年から6年ほどにわたり、司法制度委員会の委員長や常議員を5回ほど、さらには平成8年より総合改革委員を務めた。そこで感じたことは一般的に弁護士には善良な人が多く「良いこと」であれば何でもやらなければいけないと思ってしまう体質があり、その故に会務の量は幾何級数的に増大し、常に理事者ならびに事務局の処理能力を超えてしまい、物理的かつ財政的にもパンク状態になりやすいこと、加えてコスト意識がやや乏しく、予算不足になるとすぐに会費値上げで糊塗してしまう点である。 |
それゆえに私はこの対策が必要と考え、財務室等の創設を提案してきた。また弁護士会の議論は、やや問題点指摘型が多く、今後は出来る限り提案型の指向に切り替える必要があるのではないかと感じている。 |
社会的に意義があったと感じていることは、鎌倉の緑地保全を市民運動として成功させたことだ。 |
本運動は、鎌倉市の腰越地区にある約40ヘクタールの市街化区域である広町緑地を、これ以上開発したのでは鎌倉市内の重要な拠点の緑地が全て失われてしまう、との素朴な危機感から、昭和54年に「鎌倉の自然を守る連合会」なる運動団体を結成して、その事務局長として開発反対運動を展開し、開発業者らの開発圧力を跳ね返して中止させ、緑地を保全させたもので、この運動が契機となって北鎌倉駅に近い台峯緑地も保全されることとなった。 |
具体的には、市民運動が通常陥りがちである単純な反対運動ではなく、保全するためには巨額な資金を以って買収する以外ないと考え、鎌倉市に緑地保全基金条例の制定を促し、かつ基金の増大化を提案し、一般会計予算の3%程度を同基金に積み立てることを提案した。その結果、平成14年頃までに115億という巨額な基金を作ると同時に、国・県に働きかけてその各支援をうけ、結局112億円という巨額な予算を以って購入してもらい保全を成功させたもので、全国的にも稀有な事例であると考えている。 |
行政のあり方について住民の立場から「施設(箱物)よりも緑を」をスローガンにし、箱物の建築を抑制し、環境に予算を支出させる政策を実現させたことが成功の要因であった。 |
この事例は、提案型の市民運動を成功させたもので、期間も四半世紀に及んだものであるが、省みて急がず休まずよく実現させたものと我ながら驚いているのが実感である。 |
弁護士「少し冗長だったかもしれません」、私「全く冗長です」別の弁護士「おたくはどちらの方ですか」、私「時事通信です」。 |
今年6月にあった提訴会見で私と弁護士の方々との会話だ。「冗長」だと私が感じたのは、提訴にあたって声明を読み上げたからだ。 |
4月に赴任して何回か面食らう場面に出会った。私にも非があることは承知の上で、面食らったケースについて書くのを許して頂きたい。 |
冒頭に記した提訴会見。会見は確か11時から始まったと記憶する。弁護士の方々は10人以上いたのではなかったか。 |
11時という時間は、私のように活字媒体に属する人間にとっては厳しい時間だ。「30分で会見を聴いて、30分で原稿を書いて…」と焦る。夕刊に間に合わせるために、とにかく急いで原稿を書かなければならない。そんなときに声明を読み上げられても正直困ってしまう。 |
しかもだ。弁護士が10人以上いたので、質問に答えられないというのは想定していない。やっかいな質問でも10人もいたら誰かが答えてくれるだろうと、少なくとも私は思った。 |
けれど、こちら側の質問に対し「資料が手元にない」という趣旨の回答が多かった。呆気にとられた。 |
支局勤務は3回目。横浜よりずっと小さい都市でも、これほどずさんな会見は思い出せない。 |
ほかの会見でも、会見する側が私語を話す、会見に遅れてくる、等々。皆がそうだとは思わない。繰り返すが私にも非はあったと思う。でも、「いかがなものか」と感じることがある。 |
(時事通信社 小軽米 聡) |