2022年08月10日更新
岸田文雄内閣総理大臣は、安倍元首相の葬儀を全額国費による「国葬」にて行う旨を発表し、2022年7月22日、内閣において「国葬」実施の閣議決定を行った。しかし「国葬」については、現行法上根拠となる法律が存在せず、法治主義国家としての基幹的法理たる<法律による行政の原理>に抵触する他、憲法上看過できない問題がある。 よって、当会は、日本国憲法のもと基本的人権の擁護及び社会正義の実現を使命とする法律家団体として、安倍元首相の「国葬」実施に反対する。
1 実施の根拠となる法律の不存在
戦前、明治憲法下においては、国の統治者たる天皇に立法権があり、天皇の勅令による法規が多数存在した。「国葬令」もその一つであるところ、国葬令は1947年(昭和22年)4月18日公布の「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」により失効している。 国会議事録を紐解けば、憲法制定・施行時の国会は、国葬令が新憲法に抵触することを前提に、国葬令を新たに立法化しないことを選択しており、国会の意思決定として国葬令の廃止を判断した歴史的経緯がある。 他方、岸田首相及び内閣法制局は、内閣府設置法4条3項33号(内閣府の所掌事務の一として「国の儀式ならびに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」を挙げる)を根拠として「国葬」を実施することができるとしている。 しかし、第一に、内閣府設置法はいわゆる組織規範であり、行政府たる内閣の具体的な活動に国会が事前承認を与え、その実体的要件・効果を定める根拠規範ではないから、「国葬」実施の根拠法にはならない。 第二に、「内閣府」は「内閣」の内部に置かれ、内閣の事務の補助を任務とする組織であるから(法2条、3条1項)、内閣の権限を越える権限を持ち得ないところ、内閣の職務は憲法73条に列挙されており、「国葬」の実施は同条柱書及び各号のいずれにも該当しない。同条各号を例示列挙と解釈しても、例示事項から大きく外れ、かつ、後述するとおり他の憲法規定に抵触する「国葬」の実施は、「法律を誠実に執行」することを職務とする内閣において、およそ権限外の事項である(憲法73条1号)。 このような政府解釈が許されるのであれば、内閣府設置法を根拠に政府がいかなる儀式も実施できることになるが、そのような結論は、<法律による行政の原理>や国会を唯一の立法機関と定め、三権分立を骨格とする日本国憲法のもとでは成り立ち得ない。 さらに、国葬の実施には税金が支出されるから、税金の使途は国会の議決に基づかなければならないとする「財政民主主義の原則」(憲法83条)の観点からも問題がある。 なお、閣議決定とは内閣の意思決定方法に過ぎないから、内閣の権能を超える事項について閣議決定を経たとしても法的に無効であって、正当性を生じさせるものではない。
2 思想・信条の自由の侵害
明治憲法には思想・信条の自由を保障する規定が欠如していた。歴史的事実として、思想・信条という内心の精神活動は、国家により大幅な弾圧を受けた。なかでも権力が内心の告白を強制し、その結果に応じて不利益を科すことはまま生じた。これら過去の教訓から日本国憲法は、内心を外部に表すことを強制されないという<沈黙の自由>をも含め、思想・信条の自由を絶対的なものとして保障しており(憲法19条)、当該自由を侵害し、制限する国家権力の行為は、全て憲法に反するものである。 政府は安倍元首相の業績を評価して国全体として弔意を示すべきだと説明しているが、安倍元首相の業績をどう評価するかは国民各自が判断すべきものであるから、国全体として弔意を示すべきとして国葬を実施することは、それ自体が、思想・信条の自由を侵害することになりかねない。 また、政府は、服喪を強制するものではないとするが、国家権力からの弔意表明の「要請」があれば事実上の強制たりうるし、政府の「要請」に基づき各所において弔旗掲揚・黙祷等が実施されれば、各所における弔意を奉げることに違和感や反対の意見を有する者の思想・信条の自由、沈黙の自由は、結果的にであれ、侵害されることになる。現実に、2020年10月に行われた中曽根元首相の内閣・自民党合同葬の際、政府は各府省、官公庁に対して、さらには国公立大学、都道府県教育委員会等に対しても、弔旗掲揚及び黙祷による弔意表明を「要請」する通知を発出している。政府はこれらの「要請」について、「強制ではないから問題はない」等と述べているが、事実上の強制たりうること、沈黙の自由の侵害が不可避であることは前述のとおりであるから、「要請」であっても憲法19条違反となる。
以上述べた理由により、当会は、安倍元首相の国葬実施に反対する。
2022年8月9日
神奈川県弁護士会
会長 髙岡 俊之
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