2015年12月18日更新
本日,平成21年5月に川崎市内で3名が殺害された事件を含む2件の事件について死刑が執行されました。川崎市の事件の死刑執行は,裁判員裁判で言い渡された死刑判決に基づく初めての死刑執行でした。この死刑判決は高等裁判所や最高裁判所の判断を経ることなく確定したもので,正に偶然選ばれた市民が死刑という究極の刑罰に関する判断を委ねられた事件であったということができます。
当会は,死刑に関する情報がほとんど国民に開示されず,死刑の存廃に関する国民的な議論も全く深まらないまま漫然と死刑が執行され続けることに,これまでも抗議の意思を表明してきました。
今回の死刑執行は,国民がより直接的に人の生命を奪うという判断に関わったものであり,国家が国民の生命を奪うという死刑の持つ根本的な問題や,誤判による死刑の可能性といった重大論点について国民的議論が進んでいないのに軽々に新たなステージに足を踏み入れたという点で,極めて浅慮で,非理性的な判断であったといわざるを得ません。
死刑が言い渡される事件は,いずれも深刻な被害をもたらしたものであり,残忍な事件に極刑をもって臨むことを直感的に支持する国民も少なくないかもしれません。しかし,国家が国民の生命を奪うことの意味や,「拡大自殺」と呼ばれるような死刑が全く抑止力とならない類型の凶悪事件の存在,そして何より誤判による死刑の可能性といった数々の問題が,十分な議論もなく放置されているということに,より関心を持たなければならないと思います。取り分け,現在では死刑が言い渡される可能性がある全ての事件の審判に裁判員が参加することになりますが,事前に証拠が絞り込まれたり,重大事件であるほど過密な審理日程が組まれがちな裁判員裁判で十分な審理が尽くされるのかという疑問もあり,これまでも指摘されてきた誤判による死刑の可能性もより高まっているといわざるを得ません。
今回死刑執行を指揮した岩城光英法務大臣は,就任からわずか2か月しか経っておらず,法相就任後は「国民世論」を理由に「死刑の廃止は適当でなく,裁判所の判断と法の定めに従って対応する」との考えを示してきました。しかし,ここでいう「国民世論」は,繰り返し述べているとおり十分な情報も与えられず,議論らしい議論も経ないままに得られた漠然としたものであり,裁判員裁判という新たな形態の裁判による死刑についての慎重な検討がなされたとも思われません。
私は,今回の死刑執行に際し,改めて死刑の存廃を含む死刑制度に関する国民的議論が必要であることを訴えるとともに,その前提となる死刑に関する情報の開示と,死刑執行の停止を重ねて求めます。
2015(平成27)年12月18日
横浜弁護士会
会長 竹森 裕子
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