会員 内田 邦彦 |
独立当初、損害保険会社の仕事をするようになった頃の話です。交通事故にあった医者が自分で自分を治療したといって治療費の請求をしてきました。それだけならば他愛のない話ですが、代理人としてよからぬ人物が登場したことから、私が受任したのです。初めての示談交渉でした。 |
土曜日の昼から来てくれと言うので、医者の自宅を訪問したところ、よからぬ人物も同席しており、頭から高圧的に「おまえは誰の代理人だ、加害者か保険会社か、はっきりしろ、委任状を見せろ」と怒鳴り出しました。そのような入口のところでもめるとは思わなかった上、委任状を持参しなかったので、しどろもどろになり、「どちらの代理人にしろ、本件事故を解決しに来たのだから、本題に入れ」と強弁し、何とか切り抜け、その後、加害者からの委任状を送付して代理権の問題は解決しました。 |
交渉に臨む基本的態度ができていなかった(よからぬ人物も正しいことを言うこともある)と反省しました。 |
離婚に伴う慰謝料請求事件です。運良く夫名義の銀行口座を仮差押をすることができ、訴訟上の和解が成立しました。仮差押した銀行預金から和解金の支払いを受けるという内容です。 |
問題は仮差押の執行解放と和解金の受領の先後関係でした。夫側代理人と協議の上、和解金の支払日時を決め、仮差押の執行解放を申し立てた上、銀行に出向くことになりました。執行解放はあらかじめ裁判所から銀行に通知しなければならないので、和解金の支払いを受ける段階では、銀行預金の払い戻しは夫の自由になっていました。 |
銀行の会議室で、夫は「和解は無効だ。支払いはしない」と騒ぎ出し、夫側代理人の説得も奏功せず、弁護過誤かとぞっとしている内に、何を思ったか夫は銀行小切手を作成して、会議室まで持ってきました。それでも、支払いをしないので、ぐずぐずやりとりをしている内に、夫は「くれてやる」と叫んで、小切手を放り投げたのです。すぐに、拾って領収証を渡しましたが、ヒヤヒヤのやりとりでした。 |
債権譲渡手続をしておくべきでした。 |
民暴委員会に所属していた頃、川崎駅前の暴力団事務所の明渡断行仮処分事件に関与することができました。印象に残っているのは、山下光委員長(当時)が暴力団事務所の周辺の商店街の方々に債権者としての参加を粘り強く説得されていたことと委員それぞれが持ち場で力を発揮したことです。 |
チームで仕事をした楽しい思い出です。 |
皆さまはじめまして。バナナの叩き売り発祥の地、北九州市門司区生まれ、港町・神戸育ちのフジテレビの藤原宇裕(たかひろ)と申します。
|
バラエティー番組を1年、報道番組を4年、記者になって3年目を迎える今年30歳です。 |
特技は高校3年間フランスへ留学した際身に付けたフランス語で、大学の時、Jリーグの監督の通訳のアルバイトをしていました。 |
7月1日に厚労省・環境省記者クラブから司法クラブへ異動しましたが、 急きょ、8月末まで福島第一原発事故の取材を担当することになったので、横浜司法記者クラブには9月からお世話になります。 |
一番の関心ごとは「高齢被災者の孤独死対策」です。 |
震災から間もなく5か月を迎え、被災地ではガレキの移送、仮設住宅の建設、ライフラインの復旧などが進んでいます。 |
しかし仮設住宅では、独り暮らしの高齢者が誰にもみとられないまま、脳内出血や心臓病とみられる症状で相次いで亡くなっています。 |
孤独死の対策として、自治会による見回りは生活環境や持病悪化の把握には有効ですが、脳卒中や心筋梗塞など、突然の死には対応できません。 |
そのためにも阪神大震災などで導入された緊急時に消防署や外部に異常を知らせる「非常時緊急通報装置」を高齢者の全世帯に設置し、見回り活動と並行すれば、より孤独死を防げるのではないでしょうか。 |
兵庫県警によると95年の阪神大震災では、仮設住宅が存続した99年までに、誰にもみとられず亡くなった一人暮らしの被災者は233人に上りました。 |
国は阪神大震災などの教訓を生かし、孤独死0への対策を急ぐべきだと思います。 |
(フジテレビ 藤原 宇裕) |