横浜弁護士会新聞

2011年1月号  −3− 目次

かながわパブリック法律事務所の1年
 2009年9月1日に社員弁護士3名でスタートした当事務所(かなパブ)は、開設直後に事務職員を3名採用し(現在も引き続き頑張ってもらっている)、また2009年12月には新62期の勤務弁護士が2名加わって総勢8名の賑やかな事務所となった。さらには2010年末に新63期の勤務弁護士が2名加入し、2011年4月頃にはひまわり公設事務所の所長を経験した弁護士が社員(養成側)弁護士として加入することが予定されている。広々としていたはずの事務所は一挙に手狭になりそうである。
 当事務所の様子や取り組みについては2010年6月の横弁新聞にて若干紹介したが、そのうち無料相談会(出張相談会・電話相談会)、反貧困ネットワーク神奈川への参加、即独支援企画等は現在もそれらを発展しつつ継続している。特に即独支援企画については当事務所を中心とした緩やかなネットワーク構築に成功しつつあると自負している。その他「パブリック」な事務所としての役割を果たすべく新たな取り組みを日々模索しているところである。
 この1年間で受任事件も大幅に増えた。従前のとおり主に法テラス相談や法律相談センターからの受任が主であるが、今ではホームページ等を見て直接連絡してきた方の相談なども少数ではあるが現れ始めた。事件の種類としては民事刑事問わず各種の事件が満遍なく舞い込んできている感がある。
 開設以来、弁護士・事務職員一丸となって、がむしゃらに走ってきて、あっという間に1年強が過ぎてしまったという感がある。これまで順風満帆とは行かないまでも、大過なくここまで来られたことは弁護士会や当会会員各位の協力に寄与するところが大きく、大変感謝している。
 一方で1年間の執務の中でこれからの課題も見え始めた。
 まずは当事務所の柱である弁護士過疎・偏在対策であるが、現在はひまわり公設・法テラススタッフ弁護士を問わず過疎地を目指す若手弁護士が増え、また各地に都市型公設事務所も設置されていることから、養成した弁護士の赴任先選定に苦慮するという事態が現れ始めている。
 また、社員弁護士の方も任期制であるので、事務所の永続性の観点からは各地のひまわり公設事務所経験者等に養成側弁護士として継続的に加入していただく必要がある。当事務所では未だ養成弁護士の過疎地派遣にすら至っていないが、この問題に関しては今後派遣実績を積み重ねて事務所としての信頼を得ていくことが肝要かと思われる。
 また、経営の安定化・健全化も引き続き重要な課題である。今のところ、法テラスの扶助事件等を多数こなして収益を上げる、いわば「薄利多売」でやっており、この点は他の都市型公設事務所でも概ね同様ではある。しかし、この方針では自ずと量的な限界があり、さらなる経営安定化の方策を模索中である。さらには、当事務所の今後の長中期的展望として、いわば質的な方向性(弁護士過疎偏在解消という目的以外に、事務所として何らかの特色を打ち出すか等)や量的な方向性(今後どのくらいの人員規模にするか、支所の設置を目指すか等)も適宜検討しなくてはいけないと感じている。
 各弁護士ともに個々の事件処理に追われてしまいがちではあるが、今年はこのような課題・方向性についても事務所内で充分議論していきたい。今後とも会員の皆様のご指導を頂ければ幸甚である。
(会員 北條 将人)

新こちら記者クラブ 死刑判決の日
 2010年11月16日、早朝の横浜地裁。正門前の石畳は銀杏の葉に彩られ、空は乾いた青灰色をしていた。屋根に反射する光は、私にはくすんだ鈍色にしか見えなかった。
 同日、同地裁は被告人に死刑を言い渡した。我が国の裁判員裁判始まって以来、初の死刑判決である。
 先立つ同月五日の意見陳述。高速切断機で生きたまま首を切断された被害者の母の嗚咽が廷内に響き渡った。
「被告人に極刑を! それが適わぬなら、私の目の前で釈放を。母親として、私が裁きます…!」
 慟哭は遮蔽を超えて重く染み渡り、傍聴席からはすすり泣く声が聞こえた。裁判体も検察官も、弁護人も涙を見せた。そして被告人自身も目を赤く腫らしていた。
 同日夕の接見で、被告人は「これでも生きろと言うのか」と弁護人に詰め寄ったという。被告人質問を終えた同月8日、閉廷後に追いすがる私たちに主任弁護人が明かしてくれた。「彼には、遺族の罵倒の中で生きろと繰り返してきた」と。被告人は良い弁護人に恵まれて幸せだ、私はそう思った。
 人類史上、最も偉大な人間は誰か。ソクラテスであろうか、イエスであろうか。彼らはいずれも死刑になった。果たして、国家のために毒杯をあおらなかったとしたら、愛のために十字架に昇らなかったとしたら、彼らは偉大たり得たのだろうか。
 ドストエフスキーは『白痴』の主人公に語らせている。
 「刑場から遠くない場所に教会堂があり、その金色の屋根の頂きに日光が反射して輝いていたのです。そして、この光線こそ自分の新しい自然であり、もう数分もしたら、何らかの方法でこの光線と融合してしまうのだという気持ちがしたのだそうです」
 恐らく、私には金色に輝く光線を見ることはできないのだろう。彼はそれを見ることができるのだろうか。
(時事通信社 遠藤 達也)

常議員会のいま 静かに学んだ弁護士の「熱意」
会員 金子 祐子(59期)
 私が常議員になろうと思ったきっかけは、弁護士会全体がどう運営されているかを早めに知っておきたかったからであるが、実は若手だと発言を求められることもないだろうという安易な考えもあった。案の定発言を求められることもなく、私は静かに会の運営を学ばせていただいている。その中で印象深い議論があったので紹介したい。
 先日の常議員会で、若手育成支援委員会設立の議論・決議があった。ある会員は、「弁護士は登録した1日目から弁護士であり、そこに経験年数の差はないのであるから、弁護士に『育成』とはおかしい。規則の目的にも『育成』という文言はなく名称と趣旨の整合性がとれていない」という意見であった。これに対し、ある会員は「修習期間が短縮し、新人に『育成』が必要なことは否めない。むしろ『育成』という言葉を使うよりことに対外的な責任を果たしているともいえる」と。またある会員は「規則の目的全体を読めば、『育成』が読み込まれていると解釈できる」と。
 それぞれ活動の趣旨に賛同しつつも、「育成」という文言を入れるか否かで熱い議論が交わされた。たかが言い方の問題ではないかと、正直、最初は思ってしまったが、よくよく議論を聞いてみると弁護士のありかたや新人の現状など実に様々な問題が言葉ひとつに集約されていることに気付かされた。何より、この議論を通じ、各弁護士がどんなに横浜弁護士会を愛し、より良くしようと思っているか、その熱意を感じ取ることが出来た。
 そろそろ常議員の任期も終了である。それまでに静かに静かに弁護士会の運営を学び各弁護士の熱意を感じ取っていきたい。またそれをこれからの会務の活動に反映していきたいとひそかに思っている。

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