横浜弁護士会新聞

2010年12月号  −1− 目次 

日韓の少年事件のあり方について意見交換 京畿(キョンギ)中央地方弁護士会訪問
 10月29日、水地啓子会長ら執行部、及び谷口隆良委員長ら国際交流委員会のメンバーなど23名は、韓国の京畿(キョンギ)中央地方弁護士会(以前の名称は、水原地方弁護士会)を訪問した。当会と京畿中央地方弁護士会の交流会は8回目で、当会が韓国へ訪問するのは4回目となる。
 8回目の交流会ということもあって、当会と京畿中央地方弁護士会の親交はとても深くなっており、同会のウィ・チュルハン会長及び同執行部から熱烈な歓迎を受けた。この熱烈な歓迎に対し、当会の水地会長は、流暢な韓国語による挨拶で応えた。
 当会は、京畿中央地方弁護士会の外、水原地方裁判所及び水原地方検察庁を訪問した。同裁判所では、日本の裁判員制度や法科大学院制度に関する意見交換が行われた。検察庁では、日本の裁判員制度に関する意見交換が行われたほか、検察庁から、韓国における「取調べの可視化」に関する説明を受け、取調べ状況を録画するシステムを見学した。
 今回の訪問では、交流訪問記念セミナーが開催された。テーマは、「日韓両国の少年法」である。同セミナーにおいて、水原地方院のキム・チョンミン判事から「韓国の少年裁判制度」京畿中央地方弁護士会のイ・チョンホ弁護士から「韓国少年法上の保護者特別教育命令制度と青少年参加法廷」、当会子どもの権利委員会の山健一会員から「日本における少年法の現状と課題」を具体的なテーマとする発表が行われた。
 その後、質疑応答及びディスカッションが行われた。言語や法制度の違いから、多少議論がかみ合わないところもあったが、日本の国選付添人制度を中心として、日本と韓国の弁護士の少年事件における関わり合いの違いなどについて、活発な意見交換が行われた。
 次回のセミナーでは、今回残した課題をクリアし、より充実したセミナーの実現を目指したい。
 上記セミナーに先立って当会一行は、韓国の少年院を見学した。韓国の少年院において印象的であったことは、(1)少年の更生のため刺青を消す施設があったこと、(2)IT先進国ということもあって、パソコン技能の習得に力を入れていたこと、(3)少年院で製作した映像等を他の少年院へ送るための放送局があったこと、(4)少年が技能訓練の一環として作ったロールケーキをお土産として頂いたことである。
 日本とは異なった特質を有する制度を見学できたことは、とても貴重で、有意義な体験であった。
 今後も、今まで築き上げてきた両弁護士会の親交を深めるだけでなく、セミナー等の意見交換を通じ、両弁護士会の更なる発展に役立つ交流にしていきたいと思う。
(会員 飯田 信也)

弁護士としての自分の立ち位置を確認 人権擁護大会
 「弁護士になったら一度は人権擁護大会(以下「人権大会」)に参加すべきである」というのが私の自説である。今年の人権大会は、10月7〜8日、盛岡市で開催された。
 人権大会の初日は、いくつかのテーマに分かれてシンポジウムが開催される。今回私は「子どもの貧困〜すべての子どもの生存と発達を保障するために」という分科会に参加した。同分科会は、基調講演、弁護士らによる演劇、当事者の声、パネルディスカッション等がバランス良く組まれたプログラムで、子どもの貧困の現状とそれを生み出す要因、早期支援の必要性等につき、多角的側面から報告や提言がなされた。内容は、迫力があり説得力に富み充実したもので、毎回、分科会に参加すると「弁護士の仕事は人権擁護なのだ」という当たり前のことに改めて気づかされる。
 2日目の大会では日弁連の事業活動報告の他、前日の分科会の報告や決議・宣言案の採決等が行われる。議長選出や採決の際には、「人権擁護大会規則」「発言通告」等という普段は耳にしない言葉を耳にし、他会の会員の発言が聞ける。大会に出席すると、日弁連というところがどのようなことをしているのか、全国の単位会の現状がどのようなものかが、断片的であれ、分かるように思う。
 今年の大会で特徴的だったのは、核兵器廃絶に関する宣言の採決の際、反対の立場から活発な意見が出されたこと、特別企画として足利事件・布川事件の冤罪被害者からの報告がなされたことであった。冤罪被害者の生の声は、捜査や裁判、刑事弁護のあり方について考えさせられる、非常に興味深いものであった。
 なお、人権大会の会場には、毎年、書籍や地元の土産物を販売するコーナー、無料飲み物コーナーがあり、それらも楽しみの1つである。
 人権大会は、1年に1度、弁護士としての自分の立ち位置を確認出来る良い機会である。是非、参加することをお薦めしたい。
(会員 本間 春代)

山ゆり
 師走。今年も残すところあとわずかである
歳を重ねるにつれ、月日の流れがどんどん早くなっている気がする。生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するという法則があるそうだ。ざっくり言えば、歳をとるほど反比例的に時間を短く感じるようになるということか。確かに、5歳のときの私の1年は人生の5分の1であったのに対し、今の私の1年は人生の33分の1に過ぎないわけで、それだけ月日を短く感じることになる
気分によっても時間の感覚は変わる。楽しい時間というのは、あっという間に過ぎ去ってしまうものだ。野球、ゴルフ、子どもとの遊び、妻との会話、法律基本書の読書。皆さんも心あたりはあるだろう ゆきだるま
時間が経つのが早いと感じるのは、歳をとったからであろうか、充実した楽しい生活の証であろうか。あっという間に1日が、1週間が、1か月がまさに矢のように過ぎ去っていく。向こうからは、いろいろな締切りが猛烈なスピードで迫ってくる。ああ、もう明日が準備書面の締切りか。こちらの答弁書の締切りは今日じゃないか。山ゆりの締切りは、……昨日だな
来年もいい年でありますように。
(糸井 淳一)

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