私ははっと息をのんだ。
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警視庁捜査1課担当をしていた昨年1月。東京・江東区のマンションで女性が行方不明となり、その後同じマンションに住む男が女性を殺害するなどしたとして逮捕された事件の初公判でのことだった。 |
男は女性の遺体を処理するため、解体し、水洗トイレに流すという方法をとった。その遺体の一部、解体された指など数十枚の画像が廷内のモニターに映し出されたのだ。ひんやりと静まる廷内、そして一拍おいて涙を流す遺族。 |
決して多くない私の裁判取材の中で、初めての光景だった。こうした形で遺体の一部を見たのは殺人事件などを扱う捜査1課を担当する記者であった自分でも初めての経験だったのだ。 |
それからおよそ半年後、裁判員裁判制度がはじまり、多くの一般市民らが裁判員として法廷に立った。 |
「裁く」ということは決して容易なことではない。あらゆる要素を受け入れ、飲み込んで、判断することが求められる。時には、目を背けたくなるような事実に対し、目を凝らして見ないといけないときもあるだろう。 |
報道は、そういった裁判員となりうる一般市民に対し、ある種判断するための要素となりうるものだ。 |
偏った報道は場合によっては「先入観」ともなり、裁かれる立場の人生を大きく狂わせることにもなりかねない。 |
7月から横浜で働き、地裁担当として裁判取材をしている。報道記者として、すべての人が見るであろうテレビという媒体の記者として、曲がった情報を流すことのない、真実を報じることをこれからも心がけていきたい。 |
(日本テレビ 松永 新己)
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