横浜弁護士会新聞

2010年4月号  −3− 目次

横浜家庭裁判所 成田喜達所長 歓迎会 一人ひとりの当事者のために何ができるのか
 2月8日、成田喜達横浜家庭裁判所所長の着任を歓迎する宴が、中華街「萬珍楼」において開催された。
 まず、岡部会長より心から歓迎する旨の挨拶と人情味溢れる成田所長のお人柄の紹介があり、次いで成田所長の挨拶があった。
 成田所長は、かって織田信長(非行少年時?)が居住したことがある愛知県清洲市の出身で、その後名古屋市に移られたとのことである。
 研修所は25期、裁判官任官後は福岡・広島高裁管内を除く6つの高裁管内に勤務した経験があり、その間家裁には兼務を含め9年間勤務し、また、近年は公正取引委員会や国税不服審判所の勤務等、まさに多彩な経歴である。
 成田所長の、縁ある住民のために何ができるのか、裁判所へ来られた一人ひとりの当事者のために何ができるのかを考えているとの言葉が印象的であり、弁護士に向けてのメッセージとも取れた。
 次に高柳常議員会議長が、本日の宴は大いに盛り上がると宣言し、大きな声で乾杯の発声があった。
 しばし歓談の後、成田所長と同期の会員から挨拶があった。成田所長は修習時代から人の悪口は言わない人であり、非常に真面目に勉強をしていた等の紹介がされた。更に同期女性会員からは、家裁の設備面の改善(トイレのウォシュレット化)と調停委員の研修の充実をとの要望まで出た。終始和やかで大いに盛り上がった歓迎会であった。
(会員 高橋 富雄)

常議員会のいま 繰り広げられる充実した議論
会員 伴 広樹(52期)
 常議員に配られる資料は、両面印刷にもかかわらず、厚さが1cmを超えることが多く、全ての頁に通し番号が付されて、ホチキス止めされている。資料は分厚いだけでなく、内容もよく整理されており、これに基づき、担当理事者や担当委員会の委員から議案についての説明がなされる。
 常議員には、当会や日弁連の重要ポストを歴任された錚々たる顔ぶれが並び、鋭い意見や質問が頻繁に出される。これに対する担当理事者等の回答を聞くが、執行部は既に指摘された点を検討しており、熟慮のうえでの提案になっていることが多い。
 それでもなお、常議員の問で意見が割れ議論が白熱することがある。時には議案提出者が再度検討することになり決議までいかないこともある。時には議論が熟した頃に絶妙な折衷案や修正案が出てくることもある。するとすかさず高柳議長から、「その案で議決を取るということでいかがでしょうか?」と提案があり、大方の常議員が賛成して可決されることになる。
 これが私から見た常議員会の風景である。常議員会が何を決めているのかもよく知らないまま、初めて常議員に就任したが、その決議事項は会内の実に多様な問題に及び、しかもきちんとした議論を経てしばしば修正して可決されることに驚きを覚えた。
 会長声明一つとっても、声明内容の一文にまで意見が出され、納得できる結論が得られるまで討論を行う。執行部や常議員の方々が、当会の運営をより良いものにしたいという思いで、真剣に頑張っていることが強く感じられた。
 私は、常議員に就任する以前は、執行部と常議員には一種の馴れ合い(?)のようなものがあるのではないか、などと思っていたが、それは大変失礼な誤解であった。
 常議員会には概ね出席しているが、先輩方の深い議論に圧倒されてしまい、自分の意見を述べる機会は多いとは言えない。しかし、もっと会務に対する理解を深め、いずれは、うまい折衷案が言えるくらいになりたいものである。

理事者室だより 目標 整理整頓
副会長 渡辺 穣
 理事者室のデスクの作業スペースが、ほとんど無くなってしまった。
 向かい側の二川副会長と阿部副会長の顔は、ファイルの山に隠れて見ることができない。斜め左側の岡部会長の顔だけは、ファイルの山の陰から、辛うじて確認することができる。右側の小沢副会長と横溝副会長は遮るものなく確認できる。デスクの右側はパソコンがあるので、その上にはさすがにファイル山脈を形成することはできなかったため、視界を確保できているという状態だ。
 未済箱、既済箱はファイル山脈の向こう側になってしまい、既に救出することは困難な状況に陥ってしまった。
 少し前までは,「○○副会長よりは片付いていますよ」と言ってもらっていたが、現在は、誰もそのような言葉をかけてくれる人はいなくなってしまった。
 岡部会長をはじめ、同僚副会長のデスクは非常にきれいに整理整頓されている。未済箱・既済箱が、事実上使用不能になっているような理事者はいない。
 ほとんど同じ量の資料の配布を受けているはずなのに、いったいこの差はどうして生じるのだろうか?そう言えば、幼いころから立てさせられた今週や今月の目標は、いつも「整理整頓」。三つ子の魂百までもということであろうか?いずれにせよ、3月末には全て強制撤去。暫く、このままでやむを得ないと一人で納得している。

新こちら記者クラブ テレビ活用のすすめ
 裁判員裁判がスタートし、法廷は一般の人たちに身近な存在になった。
 しかし、テレビのニュースを見ていると、法曹三者が難しい顔をして、座っている無言の法廷の映像が流されるだけ。息を飲むような熱いやり取りは、裁判所まで足を運ばないと見ることができない。国会のやりとりは生放送されているのに、どうして法廷は冒頭だけしか撮影が許されないのだろうか。法廷でのやりとりを放送できたら、もっともっと裁判は身近なものになるはずである。
 マスコミは容疑者を犯人視して、裁判の前に有罪の流れを作ってしまうとの批判をよく受けるが、法廷の様子がテレビで放送できるようになったら、今まで以上に裁判に力点を置いた報道になるのは間違いない。その結果、事件報道の流れは大きく変わるのではないか。
 テレビというメディアで裁判を伝えるため、イラストと吹き替えという苦肉の策が用いられているが、法廷を再現することは難しく、違和感を抱く方もいることだろう。せめて、音声だけでも公開されれば、かなり正確に法廷の様子や雰囲気を伝えられるのではないか。
 裁判員裁判が始まり、それまで、記者の私たちも聞き取ることに苦労していた専門用語の応酬が一般の人にも分かる、放送にも耐えうる(?)ものになった。
 被害者や加害者の人権に配慮しながらも、さらに開かれた司法のため「法廷の可視化」について、一度考えていただけたら幸いである。
(テレビ東京報道局記者  五十住 千鶴)

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