平成21年度の当会理事者に、(1)新理事者として一言 (2)略歴 (3)趣味 について語ってもらった。 |
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次期会長 |
岡部
光平
(34期) |
(1)サブプライムローンに端を発し、世界を震撼させているリーマン・ショックにより、国内の金融市場はもとより製造関連会社の雇用関係悪化は目に余るものがあります。また、当会も昨年末に会員が千名を超える等、新人弁護士の就職問題が顕著になりつつあります。
このような時期だからこそ、一人ひとりの弁護士の顔が見えるように、会員が元気で個性豊かに、基本的人権の擁護と社会正義の実現のために弁護士業務が行えるような会内体制づくりに心がけたいと思います。従って、会務には会員全員が参加し、自分たちが支えている弁護士会であるという一体感をもち、対外的にも市民に役立つ弁護士会であることをアピールできればと思います。 |
(2)昭和29年8月、福島県東白川郡(現在石川郡に合併)古殿町(阿武隈山地のなか)に生まれました。男兄弟3人の末っ子。小学校の同級生は18人。同級生の半分は地元に残り農家の後継ぎ、私は出稼ぎ組です。小さいときは、ランプの火屋磨きが日課でしたが、小4の時、家に電気が引かれ裸電球の明るさに夜でも本が読めることに感動したことが思い出です。地元の中学校を卒業後、郡山に下宿し日大の附属高校から日大法学部に進学。運良く司法試験に合格。昭和57年4月に当会に入会しました。 |
(3)軟式野球。昨年11月保土ヶ谷球場にて「日弁連野球全国大会」横浜決勝大会を開催。横浜マリナーズは4度全国大会に出場しましたが、監督として出場した北九州大会(平成18年11月)は身が痩せる思いでした。 |
これから1年間、会員の皆様の益々のご指導を頂き、精一杯仕事をさせて頂きますので、よろしくお願い致します。 |
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次期副会長 |
渡辺
穣
(44期) |
(1)千名を超えた大規模会の運営の一端を担わなければならないということに身が引き締まる思いです。これまで当会の先輩会員が築かれてきた善き伝統を引き継いでいきたいと考えています。 |
(2)生まれは川崎、小・中・高と横浜、大学は電車通学がしたく高田馬場まで渋谷、新宿を横目で見ながら通いました。昭和の間に合格することができず、平成元年にようやく合格、大阪修習を経て、身も心も一回り大きくなり平成4年当会登録。これまで一弁護士として平穏な日々を過ごしてまいりました。 |
(3)趣味は皆様ご存じのとおり写真、ではなく写真機。芸術写真を撮る能力はもとよりなく本紙専属カメラマン。当会に入会以来更に二〜三まわりも大きくなった態度、否、体を引き締めるべく昨年からテニスを習い始め、それでも不足と思い自転車を購入するも折り畳まれたまま室内に鎮座という次第です。 |
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二川 裕之(46期) |
(1)横浜開港150周年,裁判員制度の初年度という,記念すべき極めて重要な年における副会長就任ということで,重責をひしひしと感じております。任期の1年間,課題を着実かつ迅速にこなして会長の補佐に徹し,少しでも会員のお役に立てるよう力を尽くす所存です。そして『思考は現実化する』という自分のモットーを前向きに会務の中で実践していきたいと思います。 |
(2)栄光学園高校から東京大学法学部に進学し,平成6年に弁護士登録しました。生まれも育ちも横浜市中区です。 |
(3)まずは車。就任にあたり,分をわきまえ,これまで3台続いた信号色(赤→黄→赤)からシルバーの車に変えました(相変わらずオープンカーですが)。
その他,ミステリーに偏向した読書,いつ転ぶのか見る者を不安にさせるスキー,マレーシアでの屋台荒しといったところです。 |
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横溝 久美(47期) |
(1)会員数1030人(1月28日現在)、いよいよ裁判員制度も始まる。会務経験乏しい私には、不安ばかりが先に立ちます。しかし「OJTでごめんなさい」と言いながら、先達に教えを請い、若手のパワーを貰って、精一杯、会長を補佐してゆきたいと思っております。 |
(2)埼玉県は越谷市に生まれ、浦和第一女子高等学校、早稲田大学法学部を卒業しました。「推薦のことば」にある「学生時代に生死を彷徨うような大事故に遭い」は、大学3年生の夏のことです。観光バスの衝突事故で、三途の川を渡らずにすみましたが、以来、助手席には恐くて乗れません。 |
(3)これといった趣味はなく(一応スキー部所属ですが、後遺症を抱えた右膝が数年前から疼き出し、引退?)、事務所から3分のTOHOシネマズ川崎のレディースデイに1000円で映画鑑賞するくらいでしょうか。 |
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阿部 泰典(47期) |
(1)昨年事務所を拡張したばかり、また、新61期を採用したばかり、という不安定な経営状態のため副会長になることは全く考えておりませんでしたが、先に立候補された方や大先輩から声を掛けていただき、これを断ったら男じゃないという状況に追い込まれ、立候補しました。決めた以上は、この1年は会のために全力を尽くしたいと思っております。 |
(2)浅野高校を卒業し、中央大学を経て、岡山修習に飛ばされた後、平成7年に当会に登録。塩田(伯父)・佐藤法律事務所に7年間勤務した後、同期の浦田弁護士と現事務所を開設。 |
(3)登録初年度の法曹ソフトボール大会でMVPを獲得し、当会野球部に勧誘していただき入部後、野球部とともに弁護士人生を歩んできました。3年前の全国大会で、日弁連野球一の好投手である御子柴投手からクリーンヒットを打ったことが良い思い出です。 |
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小沢 靖志(48期) |
(1)お世話になり、そして尊敬する多くの先輩方がつないできた副会長職のタスキ、自分が引き継ぐこと自体幸せと思い、微力ながら1年間会長を補佐したいと思います。 |
(2)川崎で生まれ、川崎大師近くで育ち、高校卒業後、愛甲郡愛川町に移りました。昭和58年生田高校卒業、平成2年早稲田大学法学部卒業、平成8年4月弁護士登録。 |
(3)趣味は、阪神タイガースとローカル線から雪景色を眺めること。1月下旬、陸羽西線に乗り、最上川の雪景色を堪能して帰ってきたところ、立候補することに相成り、翌週予定していた磐越西線の雪の旅は、来年に持ち越しです。
プロ野球シーズン中は、夜間の仕事は月曜日かプロ野球雨天中止時限定でしたが、この1年、そうはいかないことは覚悟しています。事務所で起案に煮詰まってくると、三線(さんしん)を弾いて気分転換しています。 |