横浜弁護士会新聞

2008年7月号  −2− 目次


修習生の指導に全力
会員 田上 尚志
 大村武雄会員、川島清嘉会員、大木孝会員に続き当会から4人目の司法研修所教官に田上尚志会員が就任した。
 
教官就任の動機は
 修習委員会が主催する民事弁護講義で修習生と接する機会に恵まれた。その際、修習生は真面目でかわいいという印象をもった。こういう若い人達と一緒に時間をすごせればいいと思っていたことと、かつて自分が修習生だった頃、教官から機会があれば研修所の教官をやったらいいと言われていたことから、機会があればやりたいと思っていた。そのような中で、教官推薦の話が来たので、二つ返事でお願いすることになった。
教官としての執務状況は
 4月1日に委嘱を受け、現在は、7月30日から始まる新61期集合A班、9月29日から始まる新61期集合B班の民事弁護講義に向けて準備の最中。教官全員でカリキュラムを作成しており、そのための会議も、和光市や東京で週に2〜3回は開催されている。教官同士の議論は緊張感もあるが、自分をブラッシュアップするには絶好の場である。
  講義が始まるまでに修習生の名前と顔を覚えたいので、名簿とにらめっこの日々でもある。
今後の抱負は
 とにかく楽しんでやりたい。
 一番のプレッシャーは、講義の日に休めないこと。遅刻もできないので、電車の運行情報は携帯でチェックするように。パケット料も増大中…
会員に対して一言
 今回の教官就任にあたって当会の多くの先生方にご尽力いただいたことに感謝の意を表したい。
 研修所の教官は、人的・物的に大変恵まれた環境の中にあるので、ぜひ興味をもっていただき、来年以降も候補者として名乗りを上げて欲しい。
 
 激務の中、快く取材に応じてくれた田上会員であった。
 教官会議室での白熱した議論も、その後に続く飲み会も楽しんでいる様子が印象的だった。
 かなり忙しいと思われるのに楽しそうな表情でいるのは、本当に修習生の指導が好きな証拠かと。
 体に気をつけて頑張って欲しいと思う。
(聞き手 澤田 久代)

私の事件ファイル(11) モルガン事件(上)
会員 稲木 俊介
 「モルガンお雪」と言えば、昭和一桁生まれの方はご存じだと思いますが、戦後生まれの方はおそらくご存じないと思います。
 モルガンお雪の本名は加藤ユキ、京都祇園で芸妓をしておりましたが、アメリカの金融財閥であるモルガン商会の創立者の甥のジョージ・モルガンに見初められ、明治37年に落籍されて結婚し、2人はパリに定住しました。2人の結婚は当時大変衝撃的なニュースであったようです。
 彼女の半生は戦後の昭和26年に、越路吹雪の主演で日本初のミュージカル「モルガンお雪」として上演され、彼女は戦後再び脚光を浴びました。
 実は、このモルガン財閥の創設者のピアポンド・モルガンと日本女性との間に生まれた子供であると称し、多額の詐欺を働いた男がおりまして、被害者から頼まれその男に損害賠償の請求訴訟を提起したことがありました。私が弁護士になった昭和36年のことです。
 被害者は三重県で製氷会社を主宰し、かつ遠洋漁業を経営していた社長で、その男は昭和29年に、社長の京都山科の住居に、自分は米国モルガン商会の創設者ピアポンド・モルガンと伊集院子爵の息女伊集院隆子との間に生まれたジョー・モルガン、日本における呼名を岡田博と名のって現われ、(1)モルガン商会の資金で漁船二隻を建造してやる。(2)モルガン商会の事業計画のうちに、漁業援助機構があるので漁船30隻の建造資金1000万ドルを融資してやる旨虚構の事実を告げて社長をだまし、その運動費、内妻と2人の子供の生活費、日本における新会社設立の準備費等の名目で多額の金員の交付を受け、また他に支出させて損害を被らせました。
 社長は男を信じたまま、昭和36年4月に死亡しましたが、一人息子はかねてから男の言動に疑いを持ち、社長死亡後、さる部署で調べた結果、ジョーモルガンというのは全くの偽りで、各種の偽名を使用する詐欺の前科を有する男で、横浜市南区に内妻と住んでいることを突き止めました。
 腹の虫の治まらない息子は、昭和36年7月に私の親父の事務所に損害賠償の請求訴訟を提起してくれと言ってやって来ました。当時私は親父の事務所でいそ弁をしておりました。
 息子から話を聞いたところ、肝心の被害者は死亡しており詐欺と損害額を証明する物証は不十分な社長の日記しかなく、訴訟を起こす手掛かりがなかった。ところが私の親父は被害者の息子に、その男に借用証を書いて貰って来い、内妻に連帯保証人として印を貰って来いと言って、金額を700万円とする借用証の見本を作成して息子に渡しました。
 私は、詐欺を働くような男が借用証を書くことはないだろうと思っていたところ、数日して息子は男が書いた借用書を持って事務所にやって来ました。まさか書くまいとおもっていたので私はびっくりしました。おそらく男はまだ大学生であった息子を甘く見たのではないかと思いました。
 これで手掛かりが出来たのでその男と内妻を被告として横浜地方裁判所に訴訟を提起しました。
 訴訟の経過と結末は紙面の関係から次号でお話しします。

当会とのつながりを大切に 豊田会員公設事務所赴任壮行会
 5月26日、ロイヤルホールヨコハマにて「豊田裕康会員日南ひまわり基金法律事務所赴任壮行会」が開催された。
 会長による激励に続き、豊田会員による挨拶があった。「横浜修習時代から地方で働くことを目標としており、公設事務所赴任期間の3年経過後も、日南市に残り定着する予定である」、「赴任地に日南を選んだ理由の一つは、雇用弁護士である吉川晋平会員が初代所長として赴任した地だからであり、日南を訪問すると、吉川会員の同地での成果を耳にする。近づけるよう努力したい」、「今後も、当会から毎年公設事務所への赴任者が続き、当会の評判を高めて欲しい」とのことであった。
 その後、吉川会員から、土地柄の話しを交え当時の活動の様子について紹介された。自身の経験から、公設事務所赴任は周囲に相談できる同業者がいない孤独感が強く、当会との繋がりを確保することが大切であるとの助言があった。高知県安芸市への公設事務所赴任を経験した石川裕一会員からも激励の言葉があった。
 また、修習指導会員や同期会員から修習時代のエピソードが紹介されると、吉川会員が壇上に戻り、「1年半仕事して、安定感があり仕事を任せられると感じた。能ある鷹は爪を隠す」と返す一幕もあり、強い絆を感じた素晴らしい会であった。

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