会員 須山 園子 |
「ディスカバー・ジャパン」という国鉄(古い…)のコピーが流行ったのは大分昔であるが、私個人はいまそのただ中にいる。 |
時折着物姿で事務所や弁護士会、裁判所周辺に出没するようになって早数年経つが、今ではすっかり周りが慣れてくれ、事情を知る人は誰も驚かなくなった。ゆくゆくの目標は、刑事裁判の法廷に着物姿で立つことである。 |
もともと興味と関心はあったものの、私が着物を着るようになった直接のきっかけは、祖母と伯母の形見分けとしてかなりの枚数の着物を相次いで譲り受けたことであった。2人とも相当なお洒落で、自分ではとても手が出ない結城紬や大島紬、訪問着が沢山残されていたことから、何とかこれを自分で着こなしたい! と一念発起し、着付教室に通いだした。 |
同時に、近所で見つけた趣味のいい呉服屋さんにお願いして、着物を一度ほどいてきれいに洗い、その後自分サイズに仕立て直してもらった。こうした「洗い張り」と「仕立て直し」によって、かなりの枚数の着物が「私のもの」として生まれ変わり、愛用の品となっている。また、どうしても着たいのに巾や丈が足りず私サイズに直せなかった着物や羽織も、足し布をしたりデザインを変えたりして、立派にワードローブに加わっている。 |
呉服屋さんで新しい着物を誂えるのはもちろん楽しくわくわくするイベントであるが、譲り受けた着物や羽織ものに手を入れて「自分仕様」に作り替えたり、そのままでは着られそうにない着物を帯や小物に変身させたり、といった「くりまわし」ができることこそが、実は着物の醍醐味だと思っている。そうやって手に入れたものを身につけていると、暖かいものに包まれているような、守られているような気持ちになるのは、着物マニア(?)の間での一致した意見でもある。 |
着物を着るようになって日本舞踊と茶道を始め、歌舞伎を観に出かける機会も増えるなど、私は今「和」にどっぷり浸かっている。何かとせわしない日常にあって、唯一「ひと息つける」時間なのである。 |