会員 澤野 順彦 |
私が借地・借家事件に関心を持ち始めたのは、当会において、恐らく最初に企画されたと思われる市民法律講座(昭和47年)において、「借地借家」部門を担当させて戴いたのがきっかけである。たまたま不動産鑑定のささやかな知識があったこともあり、法律と鑑定評価の間隙の問題を多く抱える借地・借家事件に興味をいだいたのは極く自然の流れであったように思える。 |
他の事件の合間にいくつかの借地・借家事件をこなしていたが、昭和57年一念発起して入学した大学院で専門的研究の機会が与えられ、その成果が平成3年の借地借家法の改正に大きな影響を与えることになった(定期借地権制度、立退料の明文化等)ことは望外の喜びであった。 |
借地借家法が成立した平成3年は、昭和60年初頭から始まったいわゆるバブル経済が頂点に達し、バブルが崩壊せんとしていた時期である。このバブル期に、東京周辺の都市部においていわゆるサブリース賃貸事業が時代の花形として賃貸市場を謳歌していた。しかし、バブル経済の崩壊とともに逆鞘現象が生じ、賃貸事業者がオーナーに約束した保証賃料を支払うことができなくなり、多くのサブリース賃料減額訴訟が提起された。 |
私が担当した事件は、大手食品会社が所有する都市部の3棟のビルを転貸条件付で大手不動産会社に一括して事業委託する、いわゆるサブリース事業契約をしたものについて、平成5年賃貸事業者からオーナーに対し、大幅な賃料減額請求がなされ、減額賃料のみきり支払われないという事案であった。3棟の保証賃料は、年額合計約47億4000万円であり、減額請求は、最終的には約70%減に及んだ。私はオーナー側代理人として、サブリース事業契約は借地借家法の適用ある建物賃貸借契約ではないことを主張し、賃貸事業者には賃料減額請求権がないことを訴訟を通じ、また論文を通して訴え続けた。 |
この訴訟は、サブリース賃料減額請求訴訟の先駈けとしての最大の訴訟であったため、当時経済界でも大きな話題にのぼり、やがてその後平成15年10月21、23日に最高裁判決のあった後発の幾多の事件のモデルとされ、私自身もこれらの事件にお手伝いさせて戴いたことも少なからずあった。私が担当した該事件は、訴え提起から6年余して、東京地裁でオーナー側が賃貸事業者から未払い賃料等数10億円を受領するほかオーナー側に相当有利な形で和解により終了した。 |
当時はサブリース賃料減額についての裁判所の考え方は未だ判然とせず、とくに私の担当した事件はその契約形式からいっても、この事件が最初に最高裁に上っていたら平成15年判決とは異なった判決がなされた可能性もあることを考えると、和解による終了はいささか残念であった。だが他の大型事件が最高裁判決後も未だに決着をみるに至っていないことを考えると、最良の時期に最善の条件によって早期解決することの重要性をつくづく感じさせられた事件であった。 |
事件取材をしていると、殺人や強盗など派手な事件ばかりに目が向く。被害者のけがが軽傷だったり、被害額が少額だったりすると、途端にニュースじゃないと判断してしまう。こうなると記者失格まではあと一歩だ。 |
裁判の傍聴は、そんなマヒした感覚を解きほぐしてくれる。 |
横浜簡裁法廷に立ったある男性は、スーパーで弁当やチョコレートを持っていたビニール袋に入れて盗んだとして窃盗罪に問われた。その男性は知的障害者だった。これまでにも17回万引をしていたが、今回が初めての刑事裁判。男性はいわゆる「累犯障害者」だ。 |
男性は中学卒業後、精神科病院に20年近く入院していた。弁護側の証人として出廷した男性の支援者の証言。 |
「家族に見放され、青年期を病院で過ごし、社会のルールを身につけることができなかった」。 |
裁判は約50分で結審し、男性に懲役1年、執行猶予3年の判決が言い渡された。支援者から「もうやってはダメだよ」と声を掛けられ、「うんうん」とうなずく男性の姿が印象に残った。 |
知的障害者で犯罪を繰り返してしまう人はこの男性だけではないだろう。だが新聞はそのことを報じてこなかった。まして「万引で逮捕」は、被疑者が有名人でもなければ書こうともしない。 |
どんな事件にも人間がかかわっている。「小さな事件」と決めつけると危ない。そんな当たり前のことを無料で思い出させてくれるのが傍聴の魅力だ。 |
(東京新聞 小川 慎一) |