横浜弁護士会新聞

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2003年9月号(3)

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理事長室だより 厳しく問われる弁護士倫理
副会長 石橋 忠文
 司法改革の最中、司法の世界が大きく変わろうとしている。
 弁護士数の急増、弁護士経験者からの裁判官任官の拡大、ロースクールによる法曹養成、裁判員制度、弁護士報酬規程廃止、司法ネット、公設事務所などなど枚挙に暇がない。
 その中で、変わらないものはなにか。
 法律の思考方法自体に大きな変化はないのではないか?ロースクールのアメリカ風の双方向の授業によっても、大陸法を基本とする日本の法的思考方法に基本的変化はないのではないか?
 弁護士の取り扱い事件の種類、内容も、あまり大きな変化はないのではないか?事件の種類は社会の需要によって決まるからである。
 国選事件に被疑者弁護が加わって忙しくなれば、一般の弁護士もおそらく携わることになるだろう。
 弁護士会の委員会による人権擁護活動は、日本の弁護士の基本的立脚点であり、維持発展することになるだろう。
 では、弁護士にとって大きく変わることはなにか?
 弁護士や弁護士会の自己改革、透明化が進展し、弁護士倫理がいっそう厳しく問われることになるだろう。
 競争も激しくなるだろう。いっそうの的確・迅速な事件処理、IT化、なにより基本的知識の確実性が求められるだろう。
 民事刑事とも集中審理がより要求され、そのためのやりくりが必要になろう。
 刑事事件の一大変革が実現するのではないか?
 すなわち、被疑者段階での取調べへの弁護人の立会権、取調べの可視化、被疑者段階の保釈導入がそれである。これらは国際水準であり、ヨルダンの毎日新聞記者事件で弁護人が来ないので取調べが始められないなど諸外国での常識を日本でも導入するしかないだろう。

私の独立した頃 永井会員の巻
 「予約時間を間違えた人が、すぐ相談させろといっています」「担当の先生がまだみえていません」「相談者が相談料を返せといっています」「待っていた相談者が見あたりません」「当番弁護士の申込が小田原で五件入りました」「逮捕されそうな人から何とかして欲しいと電話です」「交通事故の相談予約が一か月先まで入りません」このような切迫した会話が九時から五時まで飛び交いつつ、一日が終わる部署。今回は本部にある四課のうち、市民課の第一係について紹介させていただきます。
 横浜弁護士会館一階に位置し、いわゆる法律相談を中心として市民の方と弁護士会との境界で仕事をしております。業務内容は、当会法律相談センターの本部及び各相談支所の運営事務、行政・各種団体への弁護士派遣、刑事事件での当番弁護士派遣等です。日々変化する社会情勢や増加・多様化する相談者のニーズをダイレクトに感じられる部署であり、それ故、常に新しい課題をかかえては対応を迫られる毎日をおくっています。
 最近では、相談予約の電話がつながりにくいという苦情を少しでも緩和するため、長年の懸案であった電話システムの変更にあわせて予約受付回線を増設したり、増大する多重債務相談に応えるべく本部・小田原・川崎での多重債務相談専門の相談を行ったり、同じく急増する当番弁護士の派遣依頼に対応するために担当者が不足した場合の依頼用名簿を作成したりと、少しずつではありますが問題の解決にあたっています。
 こうした状況の下、事務量も増加の一途をたどり、今では職員数は相談センターの支所も含めると三三名(内パート職員は三〇名)にものぼります。全員の氏名を紹介していると紙面が足りなくなりますので、割愛させていただきますが、それぞれ個性的な面々が揃っておりますので、ぜひ機会があればお立ち寄りください。
(市民課第一係 係長 古賀義美)

事務局の仕事 第2回 市民課第一係
二つのGと夢に消えたP
 一九九二年四月号の「山ゆり」で故大類先生のことは書いてしまった。そのうえ最近小笹さんや村瀬さんなど大類会の先輩が「私の独立した頃」を書いている。致し方ないので、私らしく「ちょっと斜」に構えて仕事以外のことを少々。
 大類事務所に四年間お世話になって、独立したのは一九七七年、三二歳の春のことであった。京都で弁護士をしていた岳父に相談したところ、独立しろと言われ決断した。月に五〇万円もあればなんとか生活できるだろうと考えていたのは覚えているが、果たして実際にどのくらい収入があったのかは全く記憶がない。事務所は矢沢ビルの七階に構えた。床のカーペットは父と妻が苦労して張ってくれ、なかなかの出来栄えで一緒になって喜んだりした。「母」は「綿榮千載」の文字を自分で彫った自作の額をくれた。正に手作りの事務所であった。私と妻子それに双方の両親も呼び中華街(多分同發だったと思う)で食事をした。今思えば一番いい頃だったような気がする。
 当時私の望みの一つにポルシェに乗りたいというのがあったが、独立した頃はスカイラインに乗っていた。愛のスカイラインというモデルでスカGと言われ、結構人気車種であった。私が買った初めての六気筒でエンジンをかけるとシャリシャリという音がした。四気筒のバタバタという音とは全く違っていて興奮した。最近のクルマもシャリシャリという音がしているはずだが、今の私には聞こえない。何故聞こえなくなったのだろう。スカGは高級車のように思っていたが、二〇〇〇CCしかなかったと思う。今は三〇〇〇CC以上が当然になっていることを思えば隔世の感がある。贅沢になったものである。クルマに関してはポルシェへの夢は徐々に薄れ、五〇歳を過ぎてからSLKに乗ったことで完結し、今はほとんど興味を持たなくなってしまった。
 ゴルフは独立する一か月前の三月に始めた。高校の同級生が、コンペをするので参加しろという命令に似た誘いがあり、断わりきれずに嫌々出かけていった。記念すべき第一打は見事な空振りであった。しかし、二番ホールのパー五で第三打が一メーターくらいに寄った。結果はボギーであったが(三パットしたのです)ゴルフは簡単だと錯覚してしまった。この錯覚が後々の成長を阻害したのは予期せぬことだったが、今でも懲りずにゴルフをやっているところをみると錯覚もまんざら捨てたものではない。嫌々参加したゴルフだったが、楽しくて(一人で遊んだ罪滅ぼしとして)お土産をいっぱい買って帰ったのを覚えている。
 写真は一九八〇年一〇月に大類会の旅行で沼津のフローティングホテル「スカンジナビア」へ行ったときのもの。当時は毎年大類事務所関係で旅行に行った。村瀬さんのジャケットはお気に入りでよく着ていた。なかなかのおしゃれでスーツは英国屋で誂えていたと思う。そんなに昔とは思わなかったが既に四半世紀経っている。年をとったわけだ。独立した頃を書けと言われる訳だ。

常議員会レポート 第6回(平成15年8月20日)
〈第1号から4号議案〉
 人事案件で、横浜市公共工事の入札・契約制度改革検討委員会委員選任が付議されたことなど。
〈第5号議案〉
 入会申込者2名のうち1名は入会が許可されたが、他の1名には弁護士法第5条3号による登録請求のため、小委員会を設置して検討する。
〈第6号議案〉
 横浜弁護士会裁判官選考検討委員会設置規則が承認された。
〈第7号、8号議案〉
 撤回。
〈第9号議案〉
 「国選弁護についての注意事項」(昭和26年2月19日常議員会議決〉についての改定が承認された。
 これは、「国選弁護人推薦に関する会規」に対応するガイドライン的な弁護活動の指針を示すもの。
〈第10号議案〉
 三会合同相談会を当会、神奈川県司法書士会、東京地方税理士会と共催で開催すること並びに神奈川県、横浜市、神奈川新聞社、TVKに対する後援依頼をする件につき、双方とも事後承認された。
〈第11号議案〉
 社会福祉法人神奈川県社会福祉協議会「平成15年度かながわ権利擁護相談特別相談会」の共催並びに弁護士派遣について、いずれも承認された。
〈報告事項〉
(1) 地域委員会への情報提供のための資料とするため「弁護士による裁判官評価アンケート」を会員に配付し、協力を求める。
(2) 裁判官制度の理解と弁護士費用の敗訴者負担導入反対についての国会議員に対する要請行動をした。
(3) 弁護士フェスタの準備状況について、人権賞の候補者を募集しているが、現在名乗りを上げている者がいないという状況にある。
(4) 市民窓口担当者会議が開催され、苦情内容、苦情の処理方法等につき協議をした。
(5) 弁護士会館建替をする場合の新弁護士会館の利用のあり方及び横浜弁護士会委員会通則の改正の要否につき、総合改革委員会へ諮問した。
(6) 都市型公設事務所ワーキンググループを設置し委員会委嘱をしたこと、先行する他会の都市型公設事務所の調査研究に着手した。
(7) 「行政訴訟制度の見直しについて」の意見照会につき、常議員会の決議を取るための検討期間がなく、当会としては、当会の司法制度委員会の意見として日弁連に提出したことの報告がなされた。
(8) 川崎法律相談センターで多重債務の専門相談を9月1日より開始する。
(9) 懲戒委員会から、「平成9年懲第1・2号事件に係わる懲戒審査事件の審査長期化問題に関する結果報告」が理事者に提出された件についての概略を報告した。
(副議長 岡部 光平)
常議員からズバリひとこと
 常議員立候補締切日の前日か前々日だったと思う。ボス弁でもある横須賀支部長より携帯に電話があった。「君、選挙管理委員になっているか」、「いいえ」、「じゃあ、常議員の立候補の届出をしておくから」。以上が私の常議員になった経緯である。超直前になって私にお鉢が回ってきたという次第で、全く予期せざる拝命であったが、せっかくの機会なのでできる限り出席させていただく所存である。
(五三期 赤塚 泰弘)

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