横浜弁護士会新聞

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2001年4月号(2)

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一、この一年がどの様な「時代」のなかにあったのか、今の私には分からない。唯、司法にとって大きな節目の年であったことは間違いない。印象的であったのは、昨年一一月一日の日弁連決議であった。日弁連はこの決議のなかで、法曹人口については国民が必要とする数を確保するとし、また法曹養成制度としての法科大学院(ロースクール)の設置を認めた。
 この決議案が日弁連理事会に提案された当初、その理由中に「法曹人口を法曹三者が決める時代の終焉」という用語があった。これを最初に見たとき、驚きかつショックであった。思ったとおり、この用語について各理事が猛烈に反対した。今までの弁護士会の考え方に真向から対立するものであったからである。
 この用語はかなり早い時期に削除された。しかし、私はこの用語に文字どおり「時代」を感じていた。法曹人口に限らず、司法制度について法曹三者が決める時代は終わったと感じていた。ご承知のとおり、内閣のなかに司法制度改革審議会が設置され、司法制度について審議している。ここでの審議内容・結果については、必ずしも納得している訳ではないが、一つの考え方だとは思っている。
 日弁連の久保井会長は、審議会に日弁連の考え方・主張が相当程度反映されていると評価した。この発言は、かなりの理事から批判された。しかし、私は久保井会長の方向性は正しいと思っている。一一月一日決議案に対して、横浜弁護士会としては反対したが、私個人の一票は賛成に手をあげた。
 
二、横浜弁護士会においては、会財政の建て直しと司法改革の推進を目指した。
 就任にあたって私の考えていたことは、身近な弁護士会・開かれた司法の実現であり、そのためには「街に吹いている風」を感じることであった。旧来の弁護士・弁護士会という殻のなかにとじこもっていてはいけない、出来るだけ市民の感覚に近づこうということにあった。
 この様な思いで、今年一年実に様々なことを提案していきた。思いつくままに列挙すれば、
ホームページによる会員情報の公開・会名変更・行政の相談謝金からの納付金・国選弁護手数料の増額・国選弁護推薦基準の制定・法科大学院(ロースクール)設立の協議・事務局体制の整備にむけた規則の改正と人事異動・支部規則制定の検討・総会および常議員会のあり方についての検討・会員の不祥事に対する会として綱紀委員会への申立等々がある。
 いずれも会員のなかに様々な意見がある事柄であった。賛成をいただき実現した事柄もあり、また激しい反対にあい実現できなかった事柄・検討の途上にあり結論を得るまでには至らなかった事柄もある。
 実現できなかったなかに会名変更がある。
 会名変更というと、全ての議論がとまるこの会の状況は変えるべきではないだろうか。
 その先にあることを今弁護士会は考えなければならないと思う。

 私たち平成一二年度の理事者が提案した会名変更を含むこれらの事柄は、新しい時代に向かうための一つの試みであったと思う。


 平成一二年度横浜弁護士会副会長の任を終えましたこと、先ずはご報告させていただきます。
 また、この一年間、会内外各方面の方々には、多大なご支援とご協力をいただき、任期をまっとう出来たことに対し、本紙面をお借りして心から御礼申し上げます。
 若くて頭脳明晰、徹底した理論派の杉原副会長。多弁とソフトタッチで相手を懐柔しているつもりが、ついつい相手のペースに乗ってしまい、人から決して憎まれない滝本副会長。「こう」と決めたら理論武装して、強く押し進め、実現する松井副会長。コツコツと仕事を手堅く、確実に遂行する松本副会長。そして、本当は熱血一本気で、決して引かない気性にもかかわらず、ひたすら自分を押さえ、意見が一になるまでじっと我慢の子であった、松浦副会長。
 このような副会長たちを、自分のやりたいことを強調するでもないのに、なんとなく思い通りに動かしてしまった会長でした。
 最も象徴的だったのが、会名変更問題であったと思います。会長が役員就任披露パーティーで挨拶し、それまで必ずしも賛成ではなかった副会長も全員一致で「変更しまーす」になってしまった。
 “さすが会長!”と、早速環境作りに愛嬌と口八丁手八丁で走り回る滝本副会長。支部との関係調整のため、コツコツと連絡係に徹し、確実に支部の空気を伝えた松本副会長。得意な論理でもって、決して賛成ではない旨の意思表明をした杉原副会長。しばらくは各副会長の動き、支部あるいは実現する会の動きを見ながら、行ける!行くべきだ!と直感した松浦副会長が、副会長一人一人の意思を確認し、実行すべしと意思統一。
 そして、理事者の統一意思を全面に押し出すべき、との松井副会長の提言により実行したのが、あの“評判高い”会長・副会長全員記名の、カエルメールでした。
 ともあれ、会名変更問題の結論は、皆さんご承知の通りでした。
 こんな執行部を支えて、一年間の任期を達成させてくれたのは、我が横浜弁護士会事務職員一同の協力だと思います。
 長谷川次長をリーダーとして、これを補佐する三浦・藤原両課長の指揮の下、各自の任を確実にこなす職員たちの質と能力は、他会に誇れるものであります。
 どうぞ、この力を次期執行部にも注いでいただき、市民のための弁護士会が実現できることを願って、退任の挨拶とさせていただきます。

 有難うございました。


常議員会議長 沼 尾 雅 徳
 平成一二年度常議員会議長を退任致しました。浅学非才の私が無事この日を迎えることができましたのは、ひとえに副議長ならびに常議員各位の御協力のお陰であり、衷心より御礼申し上げる次第です。
 本年度の常議員会の特徴は何より出席率が高いことでした。自らの意思で常議員になった以上、出席するのは当然であるという声のあるのは承知しておりますが、それにしても、多忙の中ご出席下さり、しかも毎々長時間にわたり熱心に審議をして下さった常議員各位に対しましては感謝の気持ちで一杯です。また、本年度は意見の対立が感情的な対立にまで至ってもおかしくない案件が少なくなかったというのも特徴的なことでしたが、実際激しく議論をたたかわせても危惧されるような結果になることはなく、これもまた常議員各位の人柄、当会の伝統、美風と改めて感じさせられました。
 本年度は、司法改革、会名変更、会財政の立て直し等々、難問が山積しておりました。これらに関わる永井執行部のご苦労は傍から見てもさぞかしと察せられました。永井会長および副会長各位に対しましては、心よりお疲れ様と申し上げると共に、議長としてそれに充分に応えることができませんでしたことを申し訳なく思っております。
 職を離れほっとしているのも正直なところですが、会のためにお役に立つことがあれば、これからも一会員として微力を尽くしたいと存じます。
 今後とも宜しくお願い申し上げます。
 ありがとうございました。
常議員会副議長 瀬 古 宜 春
 横弁新聞読者の皆様、一年間にわたり「常議員会レポート」をご愛読いただき、ありがとうございました。でも、つまらなかったと思います。書いている本人がつまらないのですから…。でも、本当の常議員会は非常に面白いのです。紙面の関係上、それをお伝えできなかったのは残念です。
 広報委員会からは、何の制限もつけられてはいないのですが、根が真面目な私、最低限、常議員会で何が議論されているのか、その結果がどうなったのかだけは、きちんとお伝えしようと思っていましたので、それだけで紙面が尽きてしまったというのが現実でした。
 理事者も本当に大変でした。でも、理事者が大変だったということは、常議員会が本来の機能を果たしている証拠ですので、とても良いことだったと思います。
 一番楽だったのが副議長の私。全てを沼尾議長にお任せして、全くの物見遊山的気分で一年を過ごしました。本当に飽きのこない常議員会でした。重ねて御礼申し上げます。

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