横浜弁護士会新聞

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1999年6月号(1)

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 夫の暴力が子どもにまで及ぶ
 四月一七日、日弁連両性の平等に関する委員会主催による「全国一斉女性の権利一一〇番」が行われた。当会でも会員一〇名の協力の下に、午前一〇時から午後二時までの四時間にわたって電話による無料相談を受けた。
 DV(ドメスティックバイオレンス)については、昨年県民集会において取り上げており、会員の手元には同委員会のDVサポートマニュアルが届いているはずである。
 さて、今回の一一〇番に寄せられた相談二八件のうち、DVに関するものは一八件あった。相談の特徴としては、
1. 妻の年代は三〇代から五〇代、無職かパートタイマーで夫と離婚したい人が九割を占めた。
2. 夫の職業は、会社員、公務員、自営業、専門職など多岐にわたり、普段は普通の夫が、素面でいきなり暴力を振るうことが多い。暴力の内容は、殴る、蹴る、首を締める、物を壊す、包丁を振り回すなど。
3. 医者にかかり、中には入院までした人があるが、警察に通報したのは二人だけ。
4. 夫は、妻のみならず子どもに対しても暴力を振るうという相談が八件もあった。
 電話による相談は、一人で悩んでいる弱い立場の女性から寄せられることが多いのだが、昨年までの「夫の暴力をやめさせたい」とか、「自分さえ我慢すればいい」と言う受け身の相談から、より積極的に、離婚を決意していること、子どもに対する暴力にまで言及する人が多かったことなど、問題解決に対して積極的な姿勢が見られたことに勇気づけられた。
 過日、あるシェルターから、「夫の暴力から逃れてきた女性が、弁護士に逃げてばかりいないで戦いなさいと励まされ、逆にとても傷ついています。もう少し配慮して下さい」と言われた。DV被害者から相談を受けた場合には、慎重に言葉を選び対処することが求められる。前記DVサポートマニュアルを活用して、適切なアドバイスを心がけたいものである。(広報委員 芳野 直子)

理事者と広報委員会
 四月七日、就任間もない会長・副会長と広報委員会の編集委員とが一堂に会し、広報のあり方や問題点について率直な意見交換を行った。
《発行のプロセス》
 今年度の理事者には、広報委員の経験者がいないため、横浜弁護士会新聞発行のプロセスから理解してもらうこととした。一般会員にも知られていないと思われるので紹介しておくと、1.毎月第三火曜日に定例の広報委員会が開かれ(たとえばこれが四月二〇日だとすると)、ここで翌月、つまり五月一日発行の新聞の校正会議とその二カ月先、つまり七月一日発行の新聞の編集会議が行われる。2.この編集会議に基づき、翌月、従って五月の取材、原稿収集を班別編成の委員の分担で行ない、四面にわたる紙面が作成されるのである。
《御用新聞?》
 広報委員会からは、主として、弁護士会の機関紙であることや月刊新聞であることからくる機能・役割と制約を説明した。たとえば、会員を主とする読者には格別の興味をもって読まれないとしても、会としての見解や方針、立場などは伝えて行く必要があること、速報性の面からは機能しにくいことなどである。これらを踏まえた理事者と広報委員会との連携が肝要である。
《理事者がシャイ?》
 これに対して理事者からは、まず、従来の「理事者室便り」は今年度は見直したいとの意向が示された。シャイな理事者がそろったようで(今までは「俺にも書かせろ」タイプの理事者が多かったのかもしれない)、あまり自らのことは語りたくないということと、せっかくのスペースをもっと別の有意義な記事のために使いたいということのようである。何か新しい企画が提案される模様であり、乞うご期待というところであろう。
 ついで示されたのは、『市民モニター制度』の提案である。具体化には今一歩の段階だが、当会の広報に限らず、会の活動全般について市民の声をくみ上げたいという理事者の意欲の現われと思われる。七月にも本格化する司法制度改革審議会の動向をにらみながら当会としての司法改革を進めて行こうとする岡本執行部にとっては、大変重要な意味を持ってくるはずである。
《ホームページの取扱》
 今年三月に立ち上げとなったホームページの評価及び今後の取扱については、未知の問題が多い。しばらくは手探りの状況が続くものと思われる。しかし、市民への開放度、速報性など極めて優れており、その特性を最大限に生かすためにも適切な運用基準の策定が急務との認識で一致した。(広報委員長 木村 良二)

山ゆり
 だんご三兄弟がヒットしている。ヒットの要因は軽妙なタンゴの調べと誰もが共感できる歌詞であろう。アップテンポで歌いにくい昨今の流行歌の中で、子どもの歌に大人もほっとできるのかもしれない
ところで、今時三兄弟は珍しい。一人っ子か二人兄弟が主流である。しかし、三人いなければ、人間関係の妙は表せない。私事であるが、私は二人姉妹である。初めて親に買って貰ったディズニーのスプーンは、姉がバンビ、私がドナルドダックで、「なんでお姉ちゃんはかわいいバンビなのに私は違うの?」とひがんだことがあるが、これを歌にしても、「おっとりしている長女!悔しがっている二女!」というだけでなんとも単純でおもしろくない。これでは仲介役や傍観者がいないのである。長子と三子の間に立っておろおろしたり、諭したりするのが中間子の存在で、三人そろって初めて歌になるほどおもしろいのである
少子化の中で、兄弟や家族の中だけでは、複雑な人間関係を実体験することは難しくなっている。しかし、公園や空き地で子ども達が遊ばなくなったように、地域社会の中でも人間関係を養い、学ぶことが難しい時代になっている。そのことは、人間関係から生じる事件を扱う私たち弁護士の仕事の質にも影響してくるような気がする
ちなみに、私がどうしてドナルドダックだったかを、この記事を書く際に母に聞いてみた。「ああ、あなたの体型がそっくりだったからよ」。子どもが悩むほどに親はあまり深く考えて子育てはしていないものである。(芳野 直子)

あじさい

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