横浜弁護士会新聞

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1999年10月号(2)

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ホームページ開設 5ヵ月を経て
 皆さんは横浜弁護士会のホームページをご覧になったことがあるだろうか。中央にみなとみらいに浮かぶ日本丸の写真、その上には「ようこそ横浜弁護士会のホームページへ!」という赤い文字。そして背景はまるで昔のSF映画に出てくる宇宙船の壁(失礼!)のようである。画面の左側には「法律相談はこちらへ」などの項目が並び、これをクリックするとより詳細な情報を得ることができる。
 このような横浜弁護士会ホームページが開設されて五カ月以上が経過した。そこで、ホームページの開設や管理に情熱を注いでおられるお二人、徳江義典会員と弁護士会事務局の小森職員に、現在の感想を伺った。
ホームページ(以下、HP)開設で一番変わったことは
 徳江会員(以下、徳江)HPの作成で直ちに何かが変わることはないと思いますが、間もなくインターネットが家庭のテレビのように誰でも使えるようになることは確実です。当会も、いまからノウハウを蓄積し、人材を育てることによって将来に適切な活動ができると思います。
HPの利用状況や反響は
 小森職員(以下、小森)開設以来、九月半ばまでに五三〇〇回以上の利用があります。反響は法律相談等の問い合わせが中心ですが、不景気を反映して求人に関する問い合わせもあります。また、宮崎の中学生から学校の自由研究のために弁護士業務について知りたいとの問い合わせがあり、副会長から回答したところ、お礼の言葉をいただいたということもあり、印象に残っています。
HPに今後期待することは
 (徳江)東芝事件のように、これからはインターネット上のやりとりが訴訟の対象になることも少なくないだけでなく、インターネット上の発言がこれまで考えられなかったような大きな社会の動きを作り出すことも明らかになっています。ぜひ、多くの会員がパソコンのボタンを気軽に押して、当会のホームページやメーリングリストに参加していただきたいと思います。
メーリングリスト(以下ML)とは
 (徳江)会員相互の情報交換の場であり、Eメールのアドレスをもっている会員であれば誰でも参加できます。現在、一二〇名が参加していますが、商工ローンに対する対処について会員間で情報を交換したり、裁判所近くの飲食店を教えあったりするなど、参加者間ではなごやかにやっています。
MLについて印象に残っている件は
 (小森)ウィルス騒ぎに尽きます(著者注…あるメールにウィルスがついていたためML全体にばらまかれてしまった事件)。除去対策が大変でしたが、悪性のものではなかったのは不幸中の幸いだと思います。
今後MLに期待することは
 (徳江)このメーリングリストは参加者相互の情報交換が目的ですから、各会員が経験したことや疑問などを送信していただき、経験豊かなベテランの先生がご教示していただけるようになると、もっと有用なものになると思っています。
(会員 岩田 武司) 

私の独立した頃(86)黒柳和也会員の巻
こま切れを腹いっぱい食べて幸を感ず
 昭和三八年四月八日、弁護士となり、事務員として稼働していた故大類武雄事務所に就職し、先輩のH弁護士と有体動産の強制執行に赴いた。この事件は私が事務員当時からのものでO先生は手こづっていたものであることは承知していたが先輩弁護士の処理に対し余り口を挟むことは出来ない。一通りの差押えを了し、翌日私一人がO先生に執行の経過を報告したところ、O先生は執行方法が手ぬるいと言われた。私としては一人前の意識が強かったのでO先生に反発し、「わしの言うことがきけぬか」「聞けない。僕は弁護士だ」とやってしまい、大類武雄事務所から追放となった。
 あとから親子喧嘩と称されたが自己の主張を貫くことは腹を空腹が貫いた。教官から開業して二、三年は砂噛む生活といわれたが、昼飯を食べることが出来ない毎日であった。
 偶々、田子璋先生が給料運搬車強奪強盗傷人事件を紹介してくれて弁護料五万円を受領しこま切れ(牛のこま切れ肉)を腹一杯食べて幸を感じた。
 私はその後森英雄先生の御好意で同事務所を手伝うこととなり毎月御手当を頂き事務所を開きたい一心で貯金をした。保証金は一三〇万円であったが手持金五〇万円しかなかったが家主の御好意で、事務所を借りることが出来、机二ケと絨毯(四畳半)一枚で事務所を開設し、昭和四一年二月事務所開きした折りに、故三浦徹先生(修先生の父君)が次年度の役員人事について慨嘆された。
 私が事務員をしていた昭和二七年頃に役員人事について、従前の専横人事に対し、故久保田国松先生が若いグループを引き連れて熾烈な選挙戦が行なわれ、故三浦寅之介先生(修先生の祖父)が当選されたことを思い出し、横浜弁護士会は正義と良識のある会であることを信じて一五期、大谷喜與志、加藤満生、小林幹司、永峰重夫、濱勝之、故山崎勇先生等が夜な夜な事務所に集まり梅香亭グループに抗議した。
 次第に同調者も集まり参加者も増え、集会の結果を持って梅香亭グループに抗議したが一度目は一蹴された。その頃事態の収拾を計るべく、長老会議(今は既に故人である飛鳥田喜一、渡辺治湟、大類武雄、児玉正五郎諸先生)があり、雲行きが変わりつつあった。
 しかし選挙となれば候補者の擁立をなさねばならず、苦闘している折、故三浦徹先生の示唆で当方の主張を御願いに変えて候補者を推薦し、故横溝貞夫先生の笑顔で事態の収拾が出来、目的を達することが出来た。正論が通ったのである。
 翌年からは理事者推薦会に誰でも参加できるシステムへと変って行った。
 鬼の一五期との名称はこの時から与えられたが横浜弁護士会は入会して三年未満の若輩が苦言を呈しても、それが正論であれば受け入れられる弁護士会である。
 私は横浜弁護士会会員であることを誇りに思う。

投稿 M先生からいただいた「健康法」
 私達の大先輩であるM先生は今年米寿を迎えられた。賀詞交換会でのあいさつで「私の健康法を聞きたい人は連絡を」とおっしゃっていたことを思い出し、手紙を出すと早速M先生から資料付きの懇切丁寧な返書をいただいた。感激である。手紙の内容は健康法であると同時にM先生の生き方そのもののようでもあり、私自身は今後「座右の銘」にするつもりであるが、そのさわりを会員諸氏にもご披露したい。
 M先生の健康法の第一は「趣味を持つこと」で、M先生の場合は絵画と俳句が主(絵画は趣味の域を越えておられる)。この趣味を持てという心は、人間の頭は働かせすぎても良い智慧が出ないことがあり、時々とまって休むやどり木が必要なのだということである。趣味は何でもよいが、酒については特別の注意が必要で、度を過ごして毎晩外出外食するようなことは「多少まゆをひそめます」とのこと。控えめな表現だが、私にはぐさりと来た。
 第二は「歩くこと」、時間さえ許せば乗り物を使わずに歩く。
 第三は「睡眠をとること」で、熟睡すること。年をとったら一〇分でも二〇分でもうたた寝すること。
 第四に「病気になったら」、病は気から、「死んでたまるか」の負けじ魂で乗り越える。また人生というものは、年をとればいずれお別れするものということを知ること。
 第五は「食事」で、よく噛んで食べるということ。好物でなくとも、感謝の気持ちを持ってよく噛んで食べなければいけない。ヨーグルトなどの健康食も長く続けることが大切。仕事などで不快なことがあっても、それを捨てて気分を愉しく持つこと。多忙でも家族と夕食をとり、鍋料理でもつつき合って食べることなどが肝要である。そうすれば、特に話し合わなくとも以心伝心、家庭の和につながるものだという。
 第六に「一日一笑」、暇なときには笑う場所を探す。食事の時も、面白い話を思い出して笑い合う。なるほど、M先生はいつもにこにこしておられる。
 第七に医学博士村木弘昌著「丹田呼吸健康法」の実践。これは以前に九五歳の誕生日の前日に亡くなられた故山田盛先生に勧められ、本もいただいていたのを二年前から毎朝練習しておられるそうだ。
 以上、私なりにM先生の手紙の要点をまとめたが、一つ一つの健康法がバラバラではなく、密接につながっており、単なる健康法ではなく生き方そのものだということがわかる。要は、常に気持ちを上手にコントロールし、愉しくエネルギッシュに生きるための智慧ということなのだろう。
 私もM先生のように健康で魅力的な人生を送れるよう気長に努力を続けたいなと思う。
 M先生ありがとうございます。M先生とは、もちろん箕山保男先生です。
(会員 恵崎 和則) 

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