横浜弁護士会新聞

2008年10月号  −2− 目次

事務所探訪No.8 体育会系法律事務所はIT事務所 日本大通り法律事務所編
 今回は日本大通り法律事務所に伺いました。弁護士は全員個室スペースで執務し、静かで落ち着いた環境が整っていることが印象的でした。岡部光平、上山智之、井澤秀昭各会員にお話を聞きました。
−事務所の特徴としてどのようなことがありますか
 現在弁護士11名(うち勤務弁護士3名)、事務局9名が所属しています。事件の受任、処理は個々の弁護士がそれぞれ行い、毎月一定額の経費を分担しあう方法をとっています。
 取り扱う事件は主に一般民事で特に目立った特徴はありませんが、弁護士は全員弁護士会の野球部、テニス部のいずれかに所属しており、「体育会系法律事務所」を標榜しています。
業務指示はすべてネット上で
−事件処理にあたって工夫されていることはありますか
 まず、かかってきた電話については、担当弁護士が不在の場合、事務局が応対しながらその場でパソコンに用件を入力し、自動的に弁護士の携帯電話に転送されます。
 従来は、電話連絡ノートに事務局がメモを残し、各弁護士がそれぞれチェックしていたのですが、この作業をもっと効率化したいと事務局から要望があり、現在の方法を採用しました。弁護士も、外出先から事務所に電話をかけて伝言メモをチェックする手間がなくなりましたが、携帯電話の電池があっという間になくなるのが悩みです(笑)。
 また、事務局に対する業務指示は全てネット上の掲示板に書き込み、業務が終了するとメールで報告があります。このような方法により行き違いを防げるほか、事務処理作業の詳細な記録が残せることも利点です。なお、思わぬミスを事前に防ぐことにも役立っています。
 その他、弁護士が多くなった分、利益相反の危険も高くなりますので、その点はコンピューター上のデータベースシステムを利用して必ずチェックしています。
−今後の課題としては、どのようなことがありますか
 弁護士の数が多い分、何かを決める際の意思決定が遅くなる傾向があります。この点をもっとスピーディーにすること、また今後の業務対策の点からも現在あるホームページの拡充が急務だと考えています。

私の独立した頃(111) 会員 箕山 洋二
2度の独立いずれも友に助けられ
 私が独立した頃と感じた時期が2度あるので、そのことについて書きたいと思う。
 私は昭和52年4月、東京弁護士会に入会した。私の父は当会の会長経験者であったが、業務の主たる分野が刑事事件であったため、私の新しい企業関連の民事をやりたいとの希望に反するため、東京の事務所に入所した。
 私の入所直前に所長が急逝され、所長のご長男が後を継がれていた。そのため仕事は本当に忙しかったが、勉強になったと思う。
 入所3年後には父が70歳になり叙勲の栄に浴したため、横浜に戻ることを考えていた。丁度その頃仲人でもあった東京の所長がパートナーになることを勧めてくれたので、進退窮り、昭和55年11月に強引に横浜弁護士会に登録替えを行った。
 横浜へ戻って来ても仕事のあてがある訳ではなく、その上給料もなくなり、大変であった。しかし、東京の所長が私の担当していた事件を引き続き私に担当させてくれた上、勝訴して報酬が出た場合には、多額の歩合を支給していただいたので、何とか無事に過ごすことができた。しかし、勝訴若しくは勝訴的和解が絶対条件であったので、これはそれなりに大変ではあった。結果として負けない弁護士になる助けにはなったのだろうと思う。何しろ、生活がかかって必死であったから!
 その当時、友人達が私を色々な所へ引き回してくれ、多くの人と知り合うこともできた。その結果、事務所運営の基礎となるような顧問会社を持てるようになり、ようやく生活の心配から解放されることとなった。
 2度目は、平成2年〜6年にかけての4年間である。平成2年いわゆるバブルの最中に、父の事務所は立ち退きにあった。貸事務所の数も足りない状況で、新事務所探しは大変な思いをした。そしてイソ弁もいないまま、平成5年4月から弁護士会の副会長となった。
 副会長仲間で特に気が合ったのは大久保博先生・先生であった。副会長になって初めて弁護士の親友を得ることができたような気がする。弁護士としてそれなりの生活をしてきた人達だから、彼等との意見交換は本当に参考になった。彼等の人生を通じて生まれてきた宝物のような考え、教訓、生き方が溢れるように出てくる。自分の人生、弁護士としての生活を反省することができた、本当に良い時期を得た。
 いずれの独立した頃も、友に助けられたと感謝している今日この頃である。

生まれ故郷の横浜で和やかに歓談 検事正・増田暢也氏就任歓迎会
 新任の横浜地方検察庁検事正・増田暢也氏の就任歓迎会が、8月4日、萬珍楼で開かれた。
 増田検事正は修習26期。前任の千葉地方検察庁検事正から、7月1日付けで現職に就任した。
 歓迎会の冒頭、武井共夫会長は、あいさつの中で、「増田検事正を、当会を挙げて歓迎する」と述べつつ、検事正の着任直後に、地検が、9月以降、川崎、横須賀支部管内の裁判員裁判該当事件を本庁に起訴する方針を表明したことについて触れ、「急に言われても対応に困ることもある。今後は事前に協議をしたい」と釘をさした。武井会長が「検事正はなかなか強腕だ。当会もしっかりと気を引き締めていかなければならない」と述べ、検事正が苦笑する場面もあった。
 続いてあいさつに立った増田検事正は、「来年5月から実施される裁判員制度をきちんとスタートさせ、定着させるには、法曹三者が、日本の刑事裁判は自分たちが育てていくという覚悟を共有することが大切だ」と述べ、裁判所や当会と協力しながら、裁判員制度を成功に導きたいと抱負を語った。また、「横浜は私の生まれ故郷。この機会に恩師や旧友を訪ねて回ることも、楽しみの1つだ」と述べた。
 歓迎会には、増田検事正の部下だったという工藤昇副会長や伊東克宏会員ら検察官出身者をはじめ、33人の当会会員が参加。この日ばかりは、日ごろの立場の違いを超えて、和やかな歓談が交わされた。

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