正座して謝罪 |
第57期 江塚 正二会員 |
修習生のころ「示談は正座して謝罪するのが秘訣だ」と聞きかじり、弁護士になったらうまく正座して謝罪できるだろうかと不安な思いでいた。 |
初めての示談の際、打ち合わせ場所がファミレスで正座できなかったため、正座の代わりに雨の中をファミレスの外に立って、最敬礼で被害者を出迎え何度も頭を下げて謝罪してみた。その結果であるが、示談には応じてもらえたものの、スムースには進まなかったし被害者もよい印象を持たなかったように感じられた。 |
そこで試行錯誤のすえ、2回目からは正座して謝罪するようなことはしないで、被害者の話をよく聞き被害者が求める情報を提供することに徹するようにしてみた。 |
例えば見ず知らずの泥酔者に殴られた傷害の被害者に「本人は反省しています。私も謝ります」と頭を下げても納得してくれない。このような被害者は報復されるのではないかとの不安があるから、「大阪から横浜に観光に来ただけだからもう会うことは無い。酔って乱暴になったが平素は大江健三郎を読んでいる」といった具合に、被害者の不安解消に役立つ具体的な情報を提供してみた。 |
また店舗が窃盗被害にあった場合、個人経営であれば弁護士の作る契約書にサインするのは初めてであるし、全国チェーンの大企業なら上司の決済が必要であるから、示談書にサインするとどういう結果が生じるか不安である。そのような場合には、示談すれば実刑から執行猶予になる可能性があるとか、被害店舗に2度と行かないと示談書に書いたが強制力はない、といったことまで情報提供して示談に応じるかを被害者が合理的に判断できるようしてみた。 |
上記のような情報提供に徹してみたところ、弁護士になってから1年数か月で18件の示談申込全てに応じてもらえたばかりか、被害者からは不安が解消したと感謝されるようになった。 |
というわけで修習生時代に不安だった示談のための正座はすることがないまま現在に至っている。 |
もっとも事務所のボス弁がとんでもないスパルタ主義者で、怒りを静めるためにはイソ弁が正座して謝罪しなければならないことまでは想像していなかった。つい先日もボス弁に正座して謝罪した次第である。 |
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船橋 俊司会員 |
人頭獅身 後篇 |
スカイジム時代では、舘ひろし&柴田恭平さんがテレビのロケのために同ジムを使用し、器具の使い方やポージングの仕方などを指導したりした。 |
昭和57年頃東口再開発でスカイジム移転の後は大桟橋入口の港湾労働センター(現波止場会館)へ練習場所を移した。この頃は、既にベンチ110kg、スクワット130kg程度のレベルになっていた。ゴルフでいえばラウンド90前後、将棋なら3段といったところであろうか。 |
同会館のメンバーは港湾労働者が多く、馬力のある人ばかりだった。私は正体不明の長髪男として身分はほとんど明かしていなかったので、練習仲間に「君は結構強いけど、藤木(企業)か山九(海陸)の若い衆か?」と言われ飲みに誘われたこともあった。なお、当会の先輩大河内会員も同館でバーベルを担いでおられ、よく御馳走になった。 |
弁護士になり、少し余裕ができ平成元年に川崎西武の「リボン川崎」というクラブに入会した。リゾートプールが素晴らしく少しセレブな気分でウェイトに水泳を取り入れてみた。このジムのメンバーの中に私が重い重量を挙げるのを注目している眼つきの鋭い男がいて、彼が相当のスポーツ歴のある事は体格を一目見てわかった。インストラクターを通じてお互いの職業を知ることとなり、川崎市の経済界の重鎮である遠藤恭正氏との邂逅となった。遠藤氏は後に川崎商工会議所の副会頭を務められ、同氏からは数々の事件や顧問会社を紹介して頂いた。ちなみに、遠藤氏は柔道5段の猛者だった。 |
同時期に中華街にあったバブルの申し子のような「レイトンクラブ」にも在籍した。横浜らしいお洒落なクラブでプールでは女優の島田陽子さんが泳ぎ、ジムには元広島カープの高橋慶彦氏らが来ていた。このクラブは5年ほどで閉鎖されたが、従業員全員からその際の労働争議の依頼を受けたことが記憶に残る。 |
この2つのクラブの閉鎖後は、ロイヤルパークホテルのフィットネスに入会した。ジムの設備もよく、木更津が見えるリラックスルームは絶景だった。しかし、練習メンバーは毎晩5〜6人程度で活気がない。せっかく元気をもらいにジムに通っているつもりだったが、かえって寂しくなり意気消沈して帰途に着くことが多かった。 |
そこで2〜3年前からは初心に戻って、横浜市の各区主催のスポーツセンターに通うことにした。1回3時間300円で手軽に利用でき、老若男女かなりの人数で賑わい、レベルの高い人もいる中で練習している。 |
最後に、私の敬愛する本多静六博士の以下の言をもって締めくくりたい。 |
働学併進の生活は、つまり、頭脳は人間らしく科学的にどこまでも発達させ、身体は野獣の如く強健にする、「人頭獅身」生活法である。これは青少年時代から必要であると共に、年老いていよいよ大切な心掛けである。 |