船橋 俊司会員 |
ボディービルの恍惚感 前篇 |
ベンチプレス120kg、スクワット140kg、デッドリフト190kg。27才当時、体重67kgで私の持っている記録である。現在でもベンチ、スクワット各100kgをはじめとして、週1〜2回、1回90分のウェイトトレーニングは日常生活に欠かせないものとなっている。 |
ボディービルを始めたのは昭和49年、大学2年の時、当時体重は52〜3kg。率直に言ってバーベルトレーニングをし、鋼のような肉体を作り、かっこ良く街を歩きたいと思ったからである。 |
入門したのは当時横浜では随一の「スカイジム」。現在の横浜駅東口そごうの場所に存在した伝説的ジムである。50坪ほどのコンクリートジム(道場といった方がふさわしい)にベンチプレス6台、スクワット2台、サンドバック1基、その他各種トレーニング機器があり、会員には当時の横浜の格闘家の面々が名を連ねていた。プロレス界では古参のミスター珍、当時若手の藤原組長、その他若手レスラー数名。プロボクシング界ではフライ級世界チャンピオンの花形進など、また、当会の先輩の武下人志会員もおられた。その中での練習は圧倒されながらもわくわくし、実際に花形さんから、右ストレートの打ち方を教わったりして感動した。 |
ところでボディービルの練習は筋肉を増加する目的のためとして1日おきが基本。1回60〜120分、自分の個性にあわせて各種のウェイトトレーニングを行えば良い。但し、当然だが、現実に肉体的変化が起きるまでには最低でも4か月程度、根気よく続ける事が必要である。逆に言えば、だれでも、4か月以上続ければ、筋肉に変化が起きるのである。あのアーノルド・シュワルツネッガーや日本の有名なボディービルダーの多くがもともとはガリガリの痩せっぽちだったのである。 |
私の場合は、学生で時間が自由だったこともあり、週3回のトレーニングを欠かさず半年ほど続けたところ、ベンチプレスは60kg位、胸も少し盛り上がり、上腕の力こぶもポッコリ出るようになり、自分の筋肉の成長ぶりを鏡で見るのが楽しみになった。この恍惚感がこのスポーツをやめられなくする。 |
その後、司法試験受験時代、修習生、弁護士生活を通じて、30年間継続し、6つのジムを渡り歩き、友にも仕事にも恵まれた。次回はジムの愉快な仲間やエピソードをお話しする。 |
やりがいを感じる瞬間 |
第57期 上田 幹夫会員 |
一昨年10月に弁護士登録を許され、現在2年目の弁護士生活に入った。 |
今回、縁あって「新人弁護士奮闘記」を書かせて頂く事になり、この1年余りの仕事を振り返ってみたが、「いろいろなことがありすぎて何から書いていいかわからない」というのが正直なところだ。それほど、質・量ともに豊富な事件に恵まれ、忙しいなりにも実り多い毎日を送っている。 |
その中でも、一番印象に残っているのは、初めて担当した少年事件である。 |
最初は、淡々として感情を表に出さない少年が、面会を重ねていくうちにどんどん変わっていく。「家庭環境に問題がある」などとどこかで指摘されていたはずなのに、審判の後、両親と仲良く自宅に帰って行く。そんな姿を見て、「ああ、この仕事やって良かったな」と心から思った。 |
少年事件に限らず、この1年間は「初めて経験する仕事」ばかりだった。当然のことながら、諸先輩方のように手際が良いとは言えない。それでも、何とかここまでやってこられたのは、周りの方々のお力添えがあってこそだと思う。この場を借りてお礼申し上げたい。 |
いつの頃かは忘れたが、最初に私が弁護士という職業を志した理由は、「自分の仕事で誰かが幸せになって、その人から感謝をしてもらいたい」という単純な憧れのようなものだったように思う。 |
しかし、1年あまりの経験を経て思うことは、現実は、誰かに感謝してもらえて嬉しいというのは、残念ながらそれほど多くない。むしろ逆に、恨まれたり辛い思いをしたりすることのほうが、ずっとずっと多い(私だけか?)。 |
それでも時々、「ああ、この仕事やって良かったな」と心から思える瞬間がある。そして、その時に味わえる奥深い達成感のようなものは、私にとって何物にも代え難い。 |
これからも、数多くの事件に触れて、そんな瞬間を重ねることができればと思う。 |