横浜弁護士会新聞

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2004年9月号(3)

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理事者の独り言
支部枠副会長の選出法
副会長 田中 学武
 私は,川崎支部所属でありいわゆる支部枠選出副会長である。
 支部枠副会長がどういう経緯で選出されるのか。本部会員の方で知らない方がおられるかと思うので簡単に説明する。毎年10月中頃に4支部の役員,重鎮その他の支部会員が藤沢の料亭「若狭」に顔をそろえる。なぜ藤沢かというと4支部からほぼ等距離にあるという負担の平準化の思想による。
 「若狭」にて次年度に副会長を出す予定となっている支部の役員から「当支部としては次年度副会長候補として○○会員を推薦する」というと「異議なし」の声があがり,候補者となった会員から「ガンバリます。よろしくお願いします」の挨拶の後に宴会となる。
 ま,ざっとこんな具合である。もちろんすんなり一回で決まらない年度もあるし,ある程度の根回しもやる。梅香亭支部版である。
 現在4支部会員総数は190名である。全会員数の4分の1を占めている。派閥であれば大派閥である。ただし派閥ではない。なぜなら4支部が一致団結するのは支部枠副会長選出のときだけでありそれ以外の人事については何の力もないし,会長選挙のときにも支部からの締めつけは何もない。自由投票である。金もない。
 前年度の10月中に支部枠副会長が事実上決まるということのよい点は年内に次年度の国選弁護,当番弁護,法律相談,行政の各種委員の再任の回避措置がとれる点であろう。要するにある程度の仕事の整理ができる。そういう準備期間が与えられることであろう。事実上の選任が支部より遅れる所謂本部枠副会長はこの点大変だったろう。
 現在当会では都市型公設事務所の所長弁護士,総合法律支援センターの支部長弁護士の選任を迫られている。就任までの準備期間を考えるといずれも,待ったなしの時期に来ている。
 最近趣味が一つ増えた。早朝銭湯である。朝6時からやっているところを見つけた。休日の朝7時頃に湯から上がりビールをグビグビ飲む。温泉気分である。

私の独立した(前の)頃 番外編 加藤 徹会員の巻
 私が居ソ弁をしていた山田尚典先生の許から独立したのは、昭和54年4月1日のことであった。
 我が家は、私が物心ついた頃から(つまり昭和22〜3年頃)、ありとあらゆる喰い物を作り、且つ売っていた。パン、せんべい、そば、和菓子、鮨、その他エトセトラである。
 私が大学に入る頃には、毎日のように餅とお団子用の上新粉を杵でつかされていた。身体にはつらく、しかし楽しい日々であった。
 中央大学法学部を卒業し、明治大学の大学院を出て、その後昭和45年3月末まで横浜市建設局に奉職していた。
 その頃、父は胃潰瘍で胃の全摘手術を受け、自分が胃がんだと思い込んだらしい。私に向かって横浜市を辞め、店を継いでほしい、と言ってきた。私はむっとした。横浜市に勤めていれば出世する自信はあったし、第一、歳を取ったら年金生活だよ、と思ったが、父親の真剣な頼みに反論はできず、横浜市を退職した。それから約一年間店を手伝いながら父親の様子を見ていたが、こいつがガンのはずがないと確信した。
 そこで、父親に、司法試験を受けさせてくれと頼み込んで、受験勉強を店の手伝いの合間に始めた。
 昭和46年は短答式のみパス、昭和47年はかすりもせず、昭和48年にやっと合格ができ、昭和49、50年と司法修習を受けた。
 昭和51年の正月、同期の友人と飲んでいたら、全員去年の夏頃から就職活動を始め、既に内定していることを知り、愕然とした。慌てて横浜弁護士会に駆け込んで就職依頼をしたところ、翌年副会長になる予定の山田尚典弁護士が居ソ弁を急遽探しているとの情報を得て、寒い2月の夜、山田弁護士に会い、就職を決めた。
 その際の私の出した条件が、午後5時を超えたら酒を飲んでも文句は言わない。私はヘビースモーカーだから、嫌な人は別の部屋で執務する。3年たったら独立する。というもので、3年たった昭和54年4月を前に新事務所を石戸谷弁護士らと探して回り、現在の新関内ビルを賃借して独立することになった。しかし独立資金の蓄えなど全くなく、山田尚典弁護士に頼み込んで保証人になってもらい、銀行借入で、やっとこさ独立したのである。
 その後4か月間は、全く経済的に苦しかった。妻にも多大な苦労をかけたようである。4カ月以降、突然金が入って来るようになり、釣りの世界に回帰することができるようになったのである。
 ついでだが、父親は喰い物屋の商売をやめ、別の商売に手を出し、スッテンテンになってしまった。

常議員会レポート 第6回(平成16年8月5日)
 8月とあって、議案数は若干少なかったが、重要議案が多く、今回も積極的な議論が交わされた。
〈第1号議案〉
 司法試験考査委員のほか、各種行政関係委員の推薦など、人事委員会の審議を経て提案された人事案件13件について審議し、いずれも提案どおり承認した。
〈第2号議案〉
 刑事弁護センター運営委員会による国選弁護人希望者名簿登載の不承認議決に対する不服申立に関して、前回の申立人の意見陳述を踏まえて審議し、採決の結果、不服申立を棄却した。
〈第3号議案〉
 横浜拘置支所に対して、被拘禁者の意に反する写真撮影に関する人権侵害事実を認めて、警告を発することとした。横浜拘置支所に在監していた被告人からの横浜拘置支所に対する人権侵害救済申立事件について、人権擁護委員会の調査報告に基づき、「裁判等の必要に応じ被拘禁者が拘置支所内から外部へ出る際に、その都度、被拘禁者の了解を得ずに、顔面を含む身体の写真撮影をすることは、看過し得ない人権侵害行為であるのでこれを中止されたい。殊に、撮影を拒否する被拘禁者に対し有形力を行使するまでして撮影を強行することは、極めて重大かつ深刻な人権侵害行為であるので、直ちにこれを中止し、再び行うことのないように徹底されたい」との警告の趣旨による警告書案が提案された。
 これに対して、被拘禁者の承諾がある場合には、出廷時毎の写真撮影は人権侵害にあたらないのか、そもそも被拘禁者が真の意味で承諾することがありうるのか等種々の意見があり、慎重審議の結果、常議員会での意見を踏まえて、表現を明確にするなどの字句の修正をすることとして、前記の警告の趣旨による警告を行うことが了承された。
〈第4号議案〉
 合意による弁護士報酬敗訴者負担制度に反対する会長声明を発することを了承した。
〈第5号議案〉
 横浜弁護士会事務局の現在の課制が職務内容に合わなくなってきているため、職制規則を一部改正することが承認された。
 現在の4課制は維持されるが、市民課が「法律相談課」に、会員課が「業務課」に、管理課が「総務会計課」に変更される。なお、扶助課は現状どおり。
〈第6号議案〉
 相模原法律相談所及び法律相談センター本部のパート職員の補充採用が承認された。
〈緊急議案〉
 会館5階大会議室の机・椅子を購入するため、予備費をとり崩して使用することを承認した。
 現在の机・椅子の一部は相模原支部事務所で利用予定。
〈報告事項〉
 日弁連からの日本司法支援センターの発足準備のための地方調査依頼に対する回答書提出、犯罪被害者の刑事訴訟手続参加の是非・あり方についての日弁連宛の意見書提出などのほか、弁護士報酬敗訴者負担に関するシンポジウムの開催予告、家庭裁判所家事部との懇談会実施予定、横須賀法律相談センター・川崎支部事務所等の移設予定等についての報告がなされた。
常議員からズバリひとこと
 常議員初体験の私は,議論が毎回3時間前後に及ぶことにまず驚いた。内容的には,人権救済申立て関係の議案がこれまで複数あり,人権擁護委員会のご苦労が際立っている印象がある。
 思いもつかなかった視点から鋭い指摘をする他の常議員にひたすら感心ばかりの私だったが,第6回目にしてようやく質問や意見を述べることができ,気持ち的に少し楽になったので,遅ればせながら積極的な発言を継続していきたい。
(46期 二川裕之)

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