修習先で人生の師と出会う |
何号か前にこのコーナーを書いていた加藤徹さんと同じ年、1979年4月に、私は、同じビルの隣の部屋で、石戸谷豊さんと一緒に独立した。弁護士になって5年目のことだった。 |
私は、山歩きを趣味とされ、その好きな山で亡くなられた山内忠吉先生の下で、72年に弁護士修習をした(26期)。 |
山内先生は、その前年に弁護士会長を勤めておられたが、誠実で、だれであっても一人の人間として尊重してくれるような人であった。若いときに、先生のような、人間としても弁護士としても尊敬できる方に出会えたことは本当に幸せなことであったと思う。 |
74年に修習が終わったとき、山内先生からすすめられるままに、横浜合同法律事務所で弁護士としての第一歩を踏み出した。 |
数年たった頃、薬害スモン訴訟弁護団が神奈川でも組織されることになった。私は、神奈川弁護団の中心になっていた28期の会員とともに、弁護団に参加した。この弁護団活動の中で、28期の加藤さんや石戸谷さんと親しく知り合ったのであった。 |
それから数年たち、3人とも独立することになった。1人では何となく不安なので、私は石戸谷さんと2人で「港共同法律事務所」を開設し、加藤さんは同じビルの隣の部屋に1人で事務所を開設した。夕方になると、加藤さんが水割りのウィイスキーグラス片手に私たちの部屋にやって来て、3人でたわいもない雑談にふけったりしたものであった。 |
加藤さんは当時も釣りをしながら優雅にやっていたようだが、私と石戸谷さんはまだ事件も少なく、スモン訴訟の和解成立のたびに入る弁護士費用で、ようやく息をつぎながらやっていた。 |
独立して5年たち、なんとか1人でやれるようになったので、84年に輿石法律事務所を開設した。 |
独立してはや25年もの年月が過ぎてしまった。時々温泉に行ってリフレッシュしながら、関心のある高齢者・障害者の法律問題に取り組んでいる日々である。 |
神奈川県収用委員 中村れい子会員 |
収用委員会とはどういうものですか? |
都市計画事案や区画整理事業、道路や鉄道事業等で公共用地が必要となった時に、土地の買収が出来なかった場合の、収用の是非や収用に伴う損失の補償を決定(採決)する独立行政委員会です。各県に1つ置かれています。 |
委員は何名ですか? |
法律で7名と決まっていて、今は学者3名、弁護士2名、不動産鑑定士1名、行政OB1名です。古いので肩書きは会長代理ですが、数年前に延命政之会員の参加があり、すごく心強いです。 |
職務はどのようにされているのですか? |
委員会は月2回、午後いっぱいを使って全員出席で開かれます。 |
審理の日と会議の日があり、審理は裁判とほぼ同じイメージです。ただ収用を求める起業者(市や公団等)は担当者が常時10名以上参加しますし、土地所有者や借地人等の関係人も多いときは同数以上になり、そこに委員と事務局5名が加わるとかなりの大所帯にになります。 |
現地調査もしますよ。道路脇で背広姿の集団が図面片手になにやら群がっていたら、この委員会が仕事中だと思って下さい。(笑) |
今は係属案件が10件を越えているので、半日の期日に審理を2件入れることもあります。 |
会議の日は事案の検討と採決書作成の向けて熱く(?)議論を交わします。 |
委員になっての感想は? |
少し前になりますが、アイヌ文化の保存が問われた北海道の二風谷ダムや緊急使用の不許可が出た沖縄の楚辺通信所の案件について現地で直接話を伺う機会がありました。 |
あと、税金が投入されるためでしょう。収用の損失や補償の考え方は私達が普段扱っている概念と少し違いがありますね。最近は代理人がつかれるケースが多いのですが、是非収用の場に新風を吹き込んで頂きたいですね。 |