横浜弁護士会新聞

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2005年2月号(3)

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理事者の独り言
2階奥 * 窓なし部屋
副会長 三木 恵美子
 理事者会が行われている2階の奥にある窓のない部屋は、寒い。ここのエアコンは、ゴオゴオという音だけは豪勢だが、ちっとも暖かくならない。地球全体は温暖化しているが、この部屋は寒冷化しているらしく、何年かに1台ずつ電熱器みたいな電気ストーブが買い足されている。足下からしんしんと冷えるので、理事者会のある月曜日はダサいタイツとロングブーツを履いている。執務机のあるエリアは、いつの頃からかカーペットが大きく破れている。理事者のパソコンは相互につながっておらず、メールは自分のノート型パソコンからPHSで送っている有様である。印刷は、床にべたっと直置きにしてあるプリンターを使っているが、これは何年か前の理事者が自分で買ったのを残していってくれたものである。このほか使えない周辺機器も廃棄物処理されないで室内に放置されており、最初に見たときには異様だと思ったが、続けて見ていると、段々と風景の一部として視界に収まってしまい気にならなくなる。
 初めて来られた方が驚かないように、新鮮なまなざしでこの部屋を見直す必要があると思う。そして、弁護士会理事者室は慎ましいのが当然、理事者の活動は持ち出しが当然という考え方が、これからも妥当するのかについても、思い切って議論するべきだろう。
 もちろん、弁護士会の慣習にはそれぞれ合理的理由があり、簡単に変更するとかえって問題が生じてしまうことも少なくない。たとえば、資格審査、綱紀、懲戒の各委員を定時総会で選出するに際して、以前は動議を出して選挙でやっていた。毎年動議をわいわいと出すのが茶番のように見えて、議決することに変更されたが、さてそうすると、利害関係人が議決に参加できるかという論点が浮上してしまった。まさに、先人の知恵だと思い知らされた。
 しかし、見直してみたからこそ、先人の知恵にも気がついたのであり、ただ慣習として繰り返していたのでは、意義が理解されていない儀式となり、儀式としても弛緩していってしまう。やはり、当たり前とされている制度、慣習、その背景にある考え方についても、一つ一つについて不断に問い返していくべきだろう。

私の独立した頃(99) 堀江永会員の巻
イソ弁がボスを追い出した?
 私は、昭和49年(26期)登録、当会に入会。大学の先輩土屋南男先生(24期)の誘いで、川原井法律事務所に入所。以来、約6年半イソ弁。昭和55年10月独立。
 土屋先輩は、家庭を大切にする方で、午後5時には帰宅されます。独身の私が専ら「午後5時以降の弁護士」として、依頼者との酒席の応対や川原井先生との緩衝役になってきました。先生は仕事に厳しく、かつ体力もあるので、イソ弁側としては正直調子を合わせるのに苦労もしましたが、三浦の漁師の息子で魚料理が大好きで、私も小田原出身で、魚が大好きだということもあり、とにかく、美味い魚をたくさん食べさせていただいたという面でも、大変感謝しております。人は御馳走された記憶が一番残るようです。
 土屋先生が昭和52年4月独立。交代で29期米川耕一君が入所。ところが、同君が昭和54年秋になり、突如東京の渉外事務所に行くと宣言されたのには大変困惑。処理能力に欠け、かつ体力に自信のない私が二人分の仕事を請け負わされたのだから大変でした。翌55年4月、木村良二、石黒康仁両君(32期)を迎え入れ、安堵したのが昨日のようです。
 私は、川原井事務所が、昭和55年10月に先生自ら企画された弁護士ビル(本町通り所在)が完成し、引越していったのを機会に、備品を無償で譲受け残る形で独立。「能力に疑問があるから置いていかれた」という蔭口を言う人もいましたし、私に好意的な見方をする方は「私の方がボスを追い出した。前代未聞だ」と言う人もありました。もともと、資金計画営業政策があるわけではありません。弁護士広告が叫ばれている今日、ただじっと仕事を待つ事や雇った事務員から「今日は、何か仕事はありますか」と言われたのが辛い想い出です。
 独立して間もなく、亡稲木延雄先生から一言「弁護士は鶏口となるも、牛後となる勿れだよ」と言われたのが、今でも強く記憶に残っています。独立して「やはり弁護士は大変だ」と痛感しております。
 独立してから次第に、弁護士開業後知り合った人が、また人を紹介してくれて、何となく仕事が増えていきました。元をただせば、イソ弁時代のボスの仕事を通じて知り合った人が出発点になっています。思い起こせば今日このように食べられるのも、あの頃のイソ弁の仕事をとにかくこなしてきたことに尽きる気がします。

常議員会レポート 第11回(平成17年1月13日)
 臨時総会での会則改正等に伴う多数の規則制定(改廃)議案等第23号議案まであり、新年早々3時間余の審議となった。
〈第1号議案〉
 当会委員会委員及び行政関係委員の推薦などの人事案件について、一部の再検討付事項を除き承認した。なお、次回からは人事案件は原則として、報告案件となる。
〈第2号議案〉
 入会許否の件に関し審議し、前回小委員会を設置した登録換え希望者については、入会申出の取り下げがあったことが報告された。新たに申し込みのあった入会申込者については、以前に他会を退会した経緯等から、日弁連への登録進達不適当として、資格審査会に付議することとした。
〈第3号ないし第8号議案〉
 臨時総会での会則改正等に伴い、弁護士の人事等に関する規則の制定、職員就業規則及び事務局運営室設置規則の一部改正、並びに、当番弁護士制度の運営に関する規則の制定、国選弁護人推薦に関する規則、司法修習生実務指導実施要綱の一部改正を行った。
〈第9号ないし第11号議案〉
 同様に臨時総会の決議に伴い、公設事務所の設置・運営の支援等に関する規則、公設事務所支援委員会規則を制定した。
〈第13号、第14号議案〉
 専門実務研究会設置運営規則及び国際交流委員会設置規則を制定した。
〈第15号議案〉
 川崎市内に拘置支所の設置を求める旨の日弁連との連名による法務大臣宛要望書を議決した。
〈第16号議案〉
 教育基本法改正問題に対する会長声明案について審議し、常議員からの意見を踏まえて声明案を修正し、次回継続審議することとした。
〈第18号議案〉
 弁護士照会制度に関する日弁連の照会に関する当会回答について、情報の適切な管理を当然の前提としている旨を加えることとし、提案された意見書案を承認した。
〈第19号議案〉
 昨年12月4日の第2回支部サミットで決議された宣言を、神奈川県知事に対して会として執行したいとの提案に対し、参加各支部の意向、他会の意向等を確認したうえ、さらに検討することとして、次回に継続して審議するとした。
〈第21号議案〉
 入会1年以内の会員に、原則として1件ずつ人権救済申立事件の担当を求めるとの規程を含む人権擁護活動に関する会規案について意見を求められたのに対して、研修としての有効性、人権擁護活動の意義等からの賛成意見もあったが、新入会員に事実上担当を義務付けることに対する疑問等様々な意見があり、本議案についても継続審議となった。
〈第22号議案〉
 司法改革関連の諸施策の運用のための基金設置について意見を求められたのに対し、具体的な支出項目等の案を示してほしい、支出についてのシステムをきちんと作ってほしい等の意見が出された。
〈その他の議案〉
 その他、人権救済基金運営委員会委員の選任に関する議案、会費の自動引落日の変更に関する議案、「阪神淡路大震災10周年シンポの後援依頼」に関する議案、パート職員補充採用の件等について審議し、いずれも提案どおり承認された。
〈報告事項〉
 会員の公益活動・委員会活動免除に関する件などの報告がなされた。
常議員からズバリひとこと
 前回の常議員のときは、副議長に選任されてしまったために殆ど発言出来なかったので、今期は、折に触れて発言している。司法改革など課題が山積みの中で活発な議論が続いているのは嬉しいことだ。若干苦言を呈すると、年度当初のころは理事者の準備不足が目立っていたことと常議員の欠席者が多いことが気になる。常議員は、立候補して選ばれるもの、選ばれたからには、出席して積極的に発言しよう。
33期 森 卓爾

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