横浜弁護士会新聞

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2005年1月号(4)

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横弁新聞 創刊時の思い出
 創刊当時は記事の書き方も編集もまだ手探り状態であったが、意気だけは盛んであって、皆すっかり新聞記者になりきっていた。当時は民暴が大きな社会問題となっていた。第2号では浜松一力一家事件で負傷した三井弁護士を現地へ訪ね「現地ルポ」を特集、「本紙では岡部光平記者を現地へ特派し、退院後間もない三井弁護士へのインタビューを中心に緊迫する現地の状況をルポした」とのリード文に続き1面全段を使って詳細に事件を分析している。当時、新聞の出来は企画の善し悪しと執筆する記者の筆力に負うところが大きかったが、当時の記者諸兄のセンスや筆力は今読んでも誠に刮目すべきものがある。
 スポーツ記事にも熱が入った。第2号には地裁との野球対戦記事が載っている。見出しは「豪打爆発!地家裁を一蹴」である。
 ところが結果は5−4で「薄氷の勝利−辛くも逃げ切る」とでもすべき内容だったから、読み手を惑わす羊頭狗肉の見出しだと裁判所の人から皮肉を言われた。
 記事も「横弁は制球に苦しむ地裁長浜投手から3つの四球を選び、一死満塁一打同点の好機。この好機に7番木村がツースリーからの好球を見逃さずジャストミート」などと、いかにも敵を翻弄しているかの如し。
 もっともこの記事も野球部にいた木村(保)記者か岡部記者が書いた自画自賛の筆であったものだからいい気なものだ。
 新しい企画は陸続として出た。シリーズ隣近所(隣接各職域のトップに書いてもらった)、私の独立した頃、川島清嘉会員のロースクール体験記、シリーズトラバーユ(大学教授へ転身した竜嵜会員がトップバッター)、私の新聞批評(会員からの辛口の当紙への批評)等。しかし、載せる記事の量が増えたのだろう。企画記事は段々と消えていった。
 記事差し替え事件という前代未聞の出来事も起こった。すでに印刷も終了し、発送寸前になって理事者から待ったがかかったのである。記事について再三検討が加えられたが、やはり出さぬが無難だろうということになった。しかし、急な差し替えだから代わりの記事が間に合わない。やむなく手前味噌の広報委員会紹介の記事で埋め何とか切り抜けた。いかなる理由で差し替えになったか興味のある方は、ボツの新聞も事務局に保存されているから確認して下さい〈第26号〉。
(元副委員長 中山秀行会員)

200号に寄せて 弁護士会新聞の誕生
 弁護士会の会員の数がようやく400名に達しようとした頃、ちょうど横山國男先生が弁護士会の会長に就任された。その時の会の運営テーマは「開かれた弁護士会」であった。
 それまでの会は比較的こじんまりとしていて誰が何を考え行動しているかは会員間にはほぼ理解出来る状況であったから、会務の内容も会員の情報も敢えて新聞にして会の内外に知らせる必要は無いと考える人が多かった。
 しかし弁護士を取り巻く時代背景は確実に変化し、弁護士が独りよがりに小さく固まって自己変革を拒否することはもはや出来なくなっていた。そこで当時の執行部は弁護士会の業務内容や会員の認識をニュースにして会内だけではなく司法界他に広く知らせて弁護士会の風通しを良くすべきと考え、弁護士会新聞の発行に踏み切ったほか、司法記者クラブとの定例記者会見や司法書士会他の隣接業界との交流開始等、正に開かれた弁護士会に変身しようとした。
 200号も続けた編集者の血の滲むような苦闘は体験した者にしか解らないことかも知れないが、弁護士会の歴史の中では必ず特記されて長く思い起こされるものです。
 誇りある弁護士会新聞の編集者にカンパイ!
(元委員長 谷口隆良会員)

私のホビー
「トンツクツ?」
濱田 崇 会員
 中和田囃子保存会、通称「中和田囃子連」に入れてもらって早8年ほどになる。
 私の家の近くには神社があり、夏の八坂神社例大祭、秋の長島神社例大祭、鹿島神社例大祭、大晦日深夜からの新年祭等々と、神社総代と地元の方々が中心となったお祭りが盛況に行われている。
 8年前のある日、自治会の当番で神社の世話人としてお祭りに参加したところ、当時の総代に「おいしいお酒も飲めるヨ」なんて囁かれて入会となる。
 江戸の神田囃子が海側を通り、下川井あたりから当村に伝わったとされる「浜の手神田囃子」だが、お囃子には譜面がない。すべて長老からの口伝えである。トンツクツ、トロスクトン・トロスク・トロスク・トントロ…「そこはトロスクだからトントロじゃないだろう」なんて、最初はこの呪文のような唄を覚えるのに苦労した。ペンを握るとお箸を持つと、トントン動かして覚えたものだ。
 私が入会させてもらった当時は、古稀を迎える長老を筆頭に30代後半になる私が一番の若造だったが、最近は同年代の仲間も増え、老いも若きも和気藹々である。
 本業より遊びが多い?と思われているようで、秘書が「外出してます」と言うと、「釣り?お祭り?」と尋ねる客人もいて苦笑している。
 しかし、仕事と関係のない仲間と遊ぶのはことのほか楽しい。「40過ぎて覚えた遊びは大変」と言うが、そんなものか(笑)。
 そろそろまた大晦日。囃子連に入れてもらってから紅白歌合戦は家で見たことがない。肌を刺すような厳寒の深夜、今年も神社でたき火をぼんぼん焚きながら、樽の御神酒をガンガンいただきながら過ごすことになる。今年も平穏に過ごせたことを神様に感謝しながら。

3庁対抗ソフトボール大会 白熱のジャンケン斬り 裁判所残念!
 11月28日、青空の下、横浜法曹名物の対抗ソフトボール大会が横浜スタジアムにおいて開催された。
 今年は「修習生チームは一回戦で勝っても決勝に上がれない」という従来の特別ルールが撤廃され、修習生も法曹三者各チームと対等に戦うこととなった(なお、このルール改正は懇親会では司法制度改革の一環と評された)。そのせいか各チームとも例年以上に気迫溢れるプレーを見せた。
 初戦で裁判所と対戦した弁護士会は5点差を4回に大逆転し、野球部員の起用により逃げ切りを図ったが、最終回裏、執念の裁判所に追いつかれ、8−8で試合が終了。そこでジャンケン5人勝負が行われ、これも最後までもつれて異様に盛り上がったが、弁護士会がどうにか制した。これで勢いに乗った弁護士会は決勝戦では打線が爆発し、昨年優勝の検察庁を18−5で下し、優勝杯を奪還した。なお初戦で検察庁に7−9で惜敗した修習生と裁判所との3位決定戦は、力を使い果たした裁判所を修習生が7−4で破った。
 試合後は懇親会が和やかに行われ、各チームから優秀選手2名が発表された。弁護士会からはサッカー部員ながら一番ヒットを打った佐伯昭彦会員と、昔取った杵づかでハッスルプレーを見せた本田敏幸会員が選出された。
(井町順一会員)

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