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新約聖書をギリシャ語原典で読んでみた

2022年03月03日青木 亮祐弁護士

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1 コイネー・ギリシャ語
 以前、古代のギリシャ語についてコラムとして書きましたが(「古代ギリシャに魅せられて、その後」)、最近の私の趣味は、新約聖書をギリシャ語原典で読むことです(ちなみに私自身はノンクリスチャンです。)。
 新約聖書の原典は、紀元後1世紀から2世紀頃のギリシャ語で書かれています。いわゆるコイネー・ギリシャ語と呼ばれるもので、直訳すると「共通ギリシャ語」です。
 つまり、当時の東地中海の国際公用語ですね。紀元前5世紀来のアテネを中心としたギリシア諸国の発展と、それを継承したアレクサンドロスやその後継者たちの王国は、ギリシア文化を地中海全域や中央アジアに至る広大な地域にもたらしました。いわゆるヘレニズムです。
 イエス・キリストが活躍したとされる紀元後1世紀頃は、すでに東地中海諸国はローマ帝国の支配下にありました。ギリシアの文化遺産が根強く残り、公用語はローマ人の使ったラテン語ではなく、相変わらずギリシャ語でした。この状況は、その後、数百年後のローマ帝国の東西分裂を挟んで、1000年に渡って続くことになります。分裂後、コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国は、後にビザンツ帝国と呼ばれますが、もちろん公用語はギリシャ語でした。したがって、実態はギリシャ帝国です。「ビザンツ」は、コンスタンティノープルのギリシャ語古名「ビザンティオン」から来たものですね。
 では、イエス自身も国際公用語であったギリシャ語を話していたかというと、そういうわけではなく、土着のセム語系言語であるアラム語を話していたであろうと言われています。
 新約聖書の中核にある福音書は、イエスの教えを広めたいと願う信者たちによって書かれたものですが、その際に公用語であったギリシャ語を採用したのですね。福音書以外の各種手紙類も、例えば教養人であったパウロによってギリシャ語で書かれています。
 世界に広めることを使命とするとき、ギリシャ語を選択することは必然であったでしょう。

2 国際公用語は読みやすくなる?
 さて、上記のコイネー・ギリシャ語で新約聖書の福音書を読んでみると、アテネ最盛期(紀元前4世紀〜前3世紀)のいわゆる古典ギリシャ語で書かれた文献よりも、その読みやすさに驚かされます。
 新約聖書ギリシャ語の特徴は、古典期の作品よりも一文が短いことです。関係代名詞や接続詞を使って、副文をつらつらと重ねていく古典期の壮大な文とは異なり、関係節は極力使わず、シンプルな文法構造です。
 したがって、語彙すらクリアできれば、辞書や文法書の利用は最小限で、かなりの程度読み進められるところが楽しいところです。
 古典ギリシャ語がインド・ヨーロッパ語族特有の語尾変化を色濃く残している点については、上記のコラムでも書いたのですが、コイネー・ギリシャ語も、そうした語尾変化を強く残しています。しかし、古典期には不規則変化であった動詞が規則変化に近づいていたりと、そこでもシンプル化を見てとることができます。
 国際公用語は、ノンネイティブの参加によって、シンプル化する傾向にあるのかもしれません。
 現代の国際公用語である英語も、近年、語彙や文法の面で、易化しているということも聞きます。

3 原典に触れることの意味
 ところで、キリスト教と言えば、その歴史自体は大変興味深く面白いものなのですが、理論面では、古代より、イエスの発言やキリスト教の教義について複雑で重厚な議論が交わされているようです。
 素人にすぎない私がその理論(例えば三位一体論など)に触れようとすると、大変な混乱を来します。
 一方で、当のイエスの言葉は、とてもシンプルかつ明快であることが分かります。日本語でも多数の翻訳が出ていて、大変読みやすいですが、原典それ自体も、一定の文法知識と語彙があれば、とても読みやすく感じます。
 そこでは神学的な議論が行われているわけではありません。弱者に寄り添う優しさと、幼年者に対する暖かい眼差しを感じることができます。それも、とてもシンプルで、時にはオシャレな表現で。ノンクリスチャンである私も、心を打たれることがあります。
 色々と喧々諤々な議論が繰り広げられていても、実際に第一次資料(歴史学でいうところの「史料」)に自分の力で触れてみると、実態はもっとシンプルなものなのではないかと感じるのです。
 こうしたことは何か他の社会問題や分野にも通ずるのでしょう。我々弁護士の仕事でも同様で、様々なストーリーを前提に評価を重ねた厚い文章に接しても、実際に第一次資料(すなわち「証拠」です。)をじっくりと読むと、意外と実態はシンプルなストーリーであることに気づくのですね。
 常に原典や第一次資料に触れようとする姿勢は、別に語学趣味に止まらず、社会のあらゆる分野に有用なのかもしれません。

 

執筆者情報

弁護士名 青木 亮祐

 

こちらに記載の事務所情報等は執筆当時の情報です

 
 
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