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日本近代法の父

2015年10月02日澄川 圭弁護士

ギュスターヴ・エミール・ボアソナード・ド・フォンタラビーという人物をご存じでしょうか。歴史の教科書には単に「ボアソナード」と紹介されているかもしれません。

ボアソナードはフランスの法学者で,明治時代に日本政府が招聘したいわゆる「お雇い外国人」の一人です。彼は1873年に来日し,司法省法学校のほか,様々な学校(現在の東京大学,明治大学,法政大学など)で教育をしました。当時の講義は「性法講義」という名称で現在に残されています。「性法」とは聞き慣れない言葉ですが,現在でいう「自然法」のことです。この「性法講義」は,国立国会図書館デジタルコレクションで簡単に閲覧できます(筆者が学生時代に論文を書いた頃は大学の図書館にこもって読むしか方法がありませんでした)。

写真

性法講義表紙
国立国会図書館ウェブサイトから転載)

また,ボアソナードは,日本の近代法制定に関する多大な貢献から,日本近代法の父とも呼ばれています。

明治初期の日本は,列強と不平等条約を締結しており,その改正交渉のために,近代法を整備することが喫緊の課題でした。このため,若い役人をヨーロッパに留学させたり,ボアソナードのようなお雇い外国人を招聘したりして,大急ぎで法典の編纂を行っていたのです。ボアソナードは,法典編纂の中心人物として,旧刑法,治罪法(現在でいう刑事訴訟法),旧民法の起草をしました。

ボアソナードが起草した旧刑法と治罪法については,当時の日本で実際に施行されました。なお,ボアソナードが来日した頃には,日本ではまだ,時代劇に出てくるような凄惨な拷問が行われていました。ボアソナードは拷問の現場を目撃し,涙を流して強く拷問の廃止を訴えたそうです(その甲斐もあり拷問は廃止されましたが,100年以上が経過した近年でも捜査機関による不適切な取調べが行われることがあるのは,極めて残念なことです)。このように,刑事法に関しては,ボアソナードの努力は日の目を見ることになりました。

しかし,民事法に関しては,そうではありませんでした。ボアソナードが編纂した旧民法は,日本には合わないとの意見が出され,国を挙げての議論となった結果,施行されずに終わったのです(民法典論争)。この民法典論争では,反対派の学者から「民法出でて忠孝亡ぶ」という有名な意見が出されるなど,特に家族法の部分が日本の家父長制度に合致しないとして,批判がされました。

現在の日本では家父長制は廃止されていますが,昨今では夫婦別姓制度の導入についての議論があります。いつの時代においても,家族制度については様々な価値観があり,合意形成が難しいといえます。機会があれば,古くて新しい問題として,明治期の民法典論争に思いを馳せてみるのもよいかもしれません。

 

執筆者情報

弁護士名 澄川  圭
事務所名 澄川法律事務所
所在地 川崎市川崎区砂子1-8-4 アサヒヤビル3階
TEL 044-276-8773
メール web@smkw.biz
ホームページ http://sumikawa.net/jpn

こちらに記載の事務所情報等は執筆当時の情報です

 
 
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