弁護士の仕事は考えていたほど楽ではない |
古希を過ぎて新人記を書くとは思いもしなかったが、広報委員会のお勧めによりお引受する結果となった次第。70歳になった平成13年12月に登録してから早3年が経とうとしている。優れた知識経験があるわけでもなく、しかもロートルの私が登録したとて事件に恵まれるとは考えられず、僅かの事件でも経験を活かして処理できればそれで十分というのが当初からの私の気持ちである。そんなわけで私がこれまで担当した事件は少ない。 |
さて、私は8期で元職は裁判官である。東京、千葉の各地裁と札幌高裁で民事通常事件の裁判長を経験しているので、弁護士として通常の民事事件を担当してもそんなに苦労することはあるまいと思っていた。しかし今は少々異なる。裁判官の場合、事件処理上の要諦はもとより事実認定である。法律問題で悩むことは意外に少ない。和解や判決で終了すれば事件のその後に関心を払う必要もない。 |
他方、弁護士の場合、依頼者を通じて知り得た事実を基に事件の行末を見通しその事件に適切で計画的な処理を思い描いた上、証拠を集め書類を作成して事件に対処しなければならない。更に依頼者に不利なことも炙りだす工夫をしないと事実の把握や証拠の収集が不十分となり事件処理に苦労する恐れがある。また判決や和解で事件が終了した後もアフターケアを欠かせない。弁護士の仕事は考えていたほど楽ではないというのが最近の実感である。 |
ところで、法廷の当事者席から壇上の裁判官を眺めた場合、現役のとき考えていた以上に存在感は重い。ある程度年輪を重ね、経験と豊かな人格を備えた裁判官が事件の担当者であってほしいと願うのは総ての当事者の偽わらざる心情であろう。 |
現役時代の壇上の我が身を顧みて忸怩たる思いが募るばかりであるが同時に、当事者に直接接してその心を知り得る弁護士として経験を重ねた心ある方が司法民主化の下、定年まで頑張る意気込みで裁判官になってほしいと願う昨今である。 |