横浜弁護士会新聞

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2002年9月号(1)

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明日の弁護士会について激論 理事者と若い期の弁護士との懇談会
 七月一日午後六時半より、利久庵において、「理事者と若い期の弁護士との懇談会」が催された。
 この会は池田会長の呼びかけで、登録五・六年目に当たる若手会員を対象に理事者との意見交換を行うという目的で開かれたもの。当日は四九期・五〇期から八名の参加者があり、会長・副会長全員の出席の下、忌憚ない意見交換が行われた。
 冒頭で池田会長は「司法改革の実現によって、良くも悪しくも最も影響を受けるのは若手会員。そういう若手会員の意見を聞くことは大事なことで、取り入れるべきものは是非取り入れたい」と挨拶した。そして、「副会長も全員揃って出席しているので、各担当業務について何でも答えるから、何でも良いので遠慮なく意見を言って欲しい」と述べた。自己紹介の後、田中副会長の司会により、双方から様々なテーマについて発言がなされた。話題はおもに若手会員の会務負担や財政・会費問題、委員会通則の運用方法など、若手会員が身近に感じている不満や問題に集中した。
 特に会務負担の関係では、一部の若手会員に会務負担が偏っていて、いわゆる「多重会務」の状態が生じているという意見が出される一方、やる気のある会員には委員会通則の運用方法を改めてどんどん希望する委員に委嘱して会務をやらせればいいという発言もあった。その他、会費の問題や日常の弁護士業務、司法改革実現に関する意見など、何の遠慮もない議論が飛び交った。
 この席で会長は会名問題については正々堂々と提起をするつもりであると述べ、併せて支部問題についても支部会規を制定して会則下で支部の位置付けを明確にし、四支部の独自性を発揮してもらいつつ横浜弁護士会全体としての一体化をなしたいと表明した。
 また、弁護士フェスタなどを通して、良い弁護士会・良い弁護士の宣伝広告に努めたいと、弁護士フェスタに向けての抱負を語るなどした。
 会長・副会長はそれぞれ若手会員には色々な委員会にもっと積極的に出て欲しい、委員会に出てから何でも文句を言って欲しい、その中からやりたいことを見つけて、日弁連などへもどんどん出て行って欲しいものであると注文を加えた。
 なお、若手会員の側からもロースクール教官などの会員の他業種などへの派遣については、会からの支援をいかにするかだけの問題ではなく、会として早急に検討すべき事項であるなど現実に切迫している会員の責務についての検討を急ぐことを求める発言もあり、理事者側は会費問題等や支援のあり方、会員や所属事務所へのフォローの仕方などを含めて検討したいと述べた。
 理事者としては、このような若い期の弁護士との懇談の機会を、いくつかの期毎に分けるなどして、一年間に四回か五回は行う予定であるとのことである。会長や副会長に普段考えていることや会務に対する思いなどを伝える絶好の機会であるし、特に会長は種々の委員会の懇親会などにも積極的に顔を出すなど、会員の意見に直接触れたい意向を持っているようである。今回は若手会員側の出席者が八名と、いささか寂しい会になったが、今後もこのような機会は設けられると思われるので、若手会員としても是非とも参加すべきと思う。
 また、このような若い期の会員との直接の懇談会は、会長の述べるように将来の会務を担い司法改革実現後の未来に大きな関わりを持つ若手会員として理事者に物申す格好の場である。
 今後も継続的に開催されることを期待したい。
(会員 阿部雅彦)

地裁所長、検事正の歓迎会
 七月二三日午後六時から、中華街「菜香新館」で当会の主催により、横浜地方裁判所吉本徹也所長・横浜地方検察庁江川功検事正御両名の歓迎会が開催され、三九名が出席した。
 吉本所長は六月に就任され、地方裁判所の所長は三回目になる。
 江川検事正も六月に就任され、これまで内閣関係の職務に一度就任された以外、すべて検察庁で勤務をされており、検事正は四回目になる。
 歓迎会は池田忠正会長の挨拶で幕を開け、吉本所長、江川検事正の挨拶へと続いた。吉本所長は法科大学院についての取り組みなど当会の活動を評価され、裁判所と弁護士会の協力関係を築いていきたいと挨拶をされた。江川検事正は約三〇年前に二年間横浜に勤務された時と比べて町並みがずいぶん変わったことの感想や、新任地での職務の抱負を語られた。
 しばらくの歓談を挟んで、吉本所長と司法研修所同期の佐久間哲雄会員と、江川検事正と同じく同期の徳永勝会員の挨拶があった。そして、これに続いて有田榮二会員が挨拶をした。有田会員は司法研修所検察教官時代に、当時司法修習生だった吉本所長を指導している。吉本所長の他、元横浜地方検察庁検事正坂井一郎氏、元会長横溝正子会員も司法研修所教官時代の教え子だという。地方裁判所所長の教え子が歓迎会で挨拶をすることはあるが、指導教官が挨拶をすることは珍しく、会場は大いに盛り上がった。有田会員の挨拶に続き、吉本所長も修習生時代に有田会員から指導を受けた思い出を懐かしそうに語られた。
 また、赤塚健会員は昭和四〇年代に検察官として福島地方検察庁に勤務していた際、江川検事正が新任あけ検事として同地方検察庁に配属された時の思い出などを語った。
 歓迎会は午後七時半頃まで続き、青木孝副会長の挨拶により、和やかに閉会となった。

晋平ちゃんがんばって 吉川晋平会員の赴任壮行会
 「晋平会員日南公設法律事務所赴任壮行会」が、七月一五日午後六時からザ・ホテル横浜で開催された。
 当日申込みを含めて合計一〇三名の参加申込者を数える盛大な会となった。壮行会は池田忠正会長の挨拶に始まり、会員と同じ栄光学園出身で同期(二七期)の須須木永一会員から親しみを込めた言葉が贈られた。
 続いて挨拶に立った会員は、日南という貸家の少ない場所で自宅を探すのに苦労した事、日南駅の前に事務所を借り階下は三件のスナックである事、自宅、事務所とも横浜と比べると家賃が格安である事など、弁護士ならではの開業に伴う苦労話を披露した。
 そして、人生で一度は田舎で暮らしてみたかった、人のため社会のために働きたい気持ちがあったなど日南に行くことを決意した動機を語った。
 最近は日常の生活に感動が無くなってきていたところ、今回の日南公設事務所に行くことでうきうきした気分であるという。
 友人からはゴルフをするために日南に行くのだろうと言われているというが、会員自身も近隣のゴルフ場はチェック済のようであった。会員に対し花束と記念の品として公設事務所に飾るためのLLADRO社製の陶製置物が贈呈された。

山ゆり
 少々恥ずかしい話だが、私は物を捨てるのが苦手だ
 ある日、思い立って、押入れの中をかたづけることにした。修習中に収集した資料が赤本のコピーだったりするのに苦笑しながら捨てる。ここまでは順調。その時、覚えのないダンボール箱を発見。中には小学校一年生の時に使った算数セット、きれいな折紙、クレヨン、色鉛筆、ハーモニカ、小・中学校の友達や祖母からの手紙の束。数回の引越しをくぐり抜けてきた品々だった
 祖母はぎりぎり明治生まれの自称江戸っ子。「若い人達の世話にはなりたくないよ」の口癖どおり、昨年、急に逝ってしまった。遠方に住んでいた訳ではなかったが、しばしば葉書をくれた。旅先での出来事、歴史の話、学校のこと、内容は様々だが、ほとんど毎回「親に感謝しなさい」「姉妹仲良くしなさい」「健康に感謝しなさい」「よく勉強しなさい」と書き添えられていた。一緒に出掛けた時のこと、わざわざ浅草へ行ってブロマイドを買ってきてくれたこと、祖母の姿が鮮明によみがえる。最期まで元気だったと思っていたが、筆跡の変化を見ると、年相応に衰えていたのだとも思う。活字の手紙を受け取ることが増えてきた中で、かえって新鮮だった
 片付けながら出てきた物を手に取り見るのは禁物だ。またしても時間切れ。虫干ししただけに終わった。もっとも折紙は七夕の飾りになり、色鉛筆などは次世代に引き継がれ活躍中である。物を大切にするのは良いことだと自分に言い聞かせるようでは、いつになっても押入れの中は片付かない。 イラスト
(市川統子)

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