横浜弁護士会新聞

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2001年9月号(1)

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改革審意見書への評価と今後の取り組みを熱弁
会内合意のあり方の見直し提言も
 七月一八日午後三時より、横浜弁護士会館五階大ホールにおいて会員集会が開催された。
 テーマは、本年六月一二日に出された司法制度改革審議会(以下「改革審」)意見書に対する評価及び今後の日弁連の取り組みである。
 集会は、須須木永一会長の挨拶に始まり、高柳馨副会長の司会によって進行した。
 報告者は、久保利英明日弁連副会長(第二東京弁護士会会長)、当会会員でもある杉井厳一日弁連司法改革実現本部事務局長であった。
 以下は各報告の要旨である。
▼久保利英明日弁連副会長の報告
 改革審意見書の方向性は、法曹一元及び国民の司法参加が盛り込まれたことに注目し、「諸手を挙げて」ではないまでも、相当高く評価する。
 なお、「裁判員」では、不十分だとの意見も承知しているが、始めから完全な制度はないし、そもそも国民が主体として司法に参加するということが制度上認められていなかったところへ、改革審がやると言い切ったことは、極めて重要であると思う。
 法曹一元の基本として、裁判官の給源は弁護士となる以上、任用基準については、最高裁と弁護士会とで今後詰めていく必要があるだろう。
 ロースクールについては、弁護士の養成を最高裁に任せて来たことこそが不自然であったというべきである。「養成の制度を持たず自治を語るな」といった意見も、弁護士会内で存在する。
 漠然としたイメージ、大学への不信、弁護士の教育能力への懸念、学生の経済的負担、研修所へのノスタルジア等、ロースクールを否定する理由は限りなくみつけられる。しかし、これらを断ち切り、むしろ後継者を自ら育成する喜びを、我々は持つべきではないのか。
▼杉井厳一日弁連司法改革実現本部事務局長の報告
 改革審において、当初は日弁連の主張がなかなか受け入れられない状況だったにもかかわらずここまで意見書に盛り込まれたのは、一つには、審議会が公開されていたからだといえる。しかし、今後は官僚主体で手続が進められていくのであるから、これからは日弁連が主体的に制度設定をしていくことが何より必要であり、相手に委せきりにするようなことを、断じてしてはならない。
 報告終了後、担当の小野毅副会長から、会員の増加傾向や、刑事弁護の負担、求められる弁護士会の姿等について、報告を兼ねた問題提起がなされた(「市民のための司法改革」参照)。
 以上の報告後、意見交換となった。
 日弁連執行部の会内合意形成過程について、問題があるように思われるとの意見が出された。
 これについては、久保利日弁連副会長から、一連の改革審の審議の流れの中で、従来の反対運動型のリアクションではもはや対応できないといった状況が根底にあった、今後は、全会員に周知し、単位会の回答が上がって来るまで日弁連としては何もできないという構造をこそ変えていくべきで、今までの会内合意のあり方を、これを機に見直すべきであるとの回答がなされた。
 その他、日弁連のガバナンスの問題、改革審の抱く国家像、日弁連としての交渉における説得の方法論、改革審意見書のマイナス評価についての日弁連のはっきりした意見の要求等、参加会員らによって活発な議論がなされ、集会は終了した。

司法改革と当会の役割
副会長 小野 毅 
 七月一八日の会員集会では、「改革審」最終意見書の評価の問題と、この司法改革の流れの中で二一世紀の横浜弁護士会のあり方を、会員と一緒に考えていきたかった。
 久保利日弁連副会長は、「法曹一元」の実現と「国民の司法への参加」が意見書に盛り込まれたことを特に積極的に評価していたが、この点は極めて重要な点であると思われる。
 今までの司法の姿は、裁判所・法務省主導のもとでしかなく、常に弁護士会は受け身の立場でしかなかった。そのような司法の現状に対して、弁護士会が積極的に位置づけられ、さらに国民が参加していくことになる。具体的に大規模な弁護士任官が実現すれば、「非常識な裁判」と呼ばれるようなものは少なくなるし、裁判所の運営も風通しがよくなることだろう。国民の司法への参加によって、弁護士にとってはある意味で目障りな存在が増えるかもしれない。しかし、司法に対する国民の関心は必然的に高くなることとなり、長い目で見れば、公正な司法の実現に資することとなることは間違いのないことである。
 法曹一元・陪審制の実現ということは、弁護士会の長い間の悲願であった。「改革審」の意見書によって、弁護士会の悲願が、一部であれ達成されることとなることは、喜ばしいことである。
 とはいえ、これだけ大きな制度改革であるから、弁護士会や弁護士も大きな変革を迫られていることは間違いのないことである。
 私の試算によれば、横浜弁護士会は二〇〇八年頃には、会員数が一〇〇〇名を超えることになるだろう。被疑者国公選弁護が実施されることとなれば、会員一名あたり年間一八件もの刑事弁護を行う必要がある。
 また、弁護士の公益性・社会的責任を果たすため、多数の弁護士任官者を推薦するほか、ロースクールの運営の一部を担ったり実務家教官を推薦したりする必要がある。それだけではなく、弁護士会は、行政の一部を担う機関として(弁護士法三五条によると、会長・副会長は法令によって公務に従事する職員である)、弁護士会運営の透明化を図らねばならず、綱紀懲戒制度についても一定の改革が求められている状況である。
 弁護士会が国民から求められているものは、広く、重い。なぜ、これほどの負担を強いられるのかという疑問が生ずるのも当然である。綱紀懲戒制度という弁護士自治の根幹に関わる問題まで、弁護士会の身に突きつけられている。しかし、逆にこのような弁護士自治を守っていくためにも、弁護士会自らが、司法改革の先頭を切っていかねばならないのだろう。
 杉井事務局長が、これから具体的立法作業に入っていくが、裁判所をはじめとした様々な抵抗により、司法改革が骨抜きにされる可能性のあることを指摘していた。司法改革が国民にとって有意義なものとなるためにも、横浜弁護士会をはじめとした弁護士会が率先して、実現に向けての行動をしていく必要がある。

山ゆり
 今月号の一面は、司法制度改革がテーマである。法曹養成制度の議論やロースクールについて考えていて、ふと自身の修習時代を思い出した。湯島の研修所で前期修習を終え、ここ横浜での実務修習に入ったのは、バブルもまさに燗熟期の一九八九年夏だった
当時みなとみらい地区は「横浜博覧会」の最中で、地区内にはさまざまなパビリオンがひしめいていた。地価は上昇を続け、不動産が競売されてもおつりがたくさん返って来た。修習生の就職難などという概念は存在しなかった
新庁舎の建設中だったので、家裁は野毛の崩れそうな仮庁舎だった。地裁はもちろん旧庁舎、検察庁だけがピカピカだった
修習生は、既にほぼ全員がワードプロセッサを使っていた。裁判官も検察官も同様だった。それでもごくたまに、裁判所の和文タイプ室から、タイプを打つ音が聞こえてきた
翌九〇年の秋、バブルは崩壊し、明けて九一年の春、私は弁護士になった。そして一〇年−この一〇年は、後に「失われた一〇年」と呼ばれることになる−が過ぎた
この一〇年の始まりのころには、司法試験の甲案だ丙案だとの議論があった。そして終わりのころ−今年の六月一二日には司法制度改革審議会の意見書が出され、法曹一元や国民の司法参加が明記されるに至った。決して「失われ」てはいなかったのだ、と思う
しかしというか、やはりというか、一〇年は長い。修習中、定年退官された横浜地裁所長は、既に鬼籍に入られ三年が経つ。この夏完成した裁判所新庁舎に、和文タイプ室はもうない。
(小川佳子)

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