横浜弁護士会新聞

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2002年3月号(1)

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平成14年度 次期理事者のプロフィール
 平成14年度の当会会長、副会長の顔ぶれが決まった。今号では次期理事者の自己紹介とともに、各理事者の抱負などを紹介する。
 (1)略歴、(2)趣味、(3)自己評価、自己分析、(4)好きなものと嫌いなもの、(5)新理事者としての抱負の順。
時代の流れを見すえた会運営を
 次期会長  池田 忠正(21期)
(1) 昭和一八年九月二九日生。上に姉二人、兄一人がいたが、戦時中二才の時に四人疫病にかかり、三人共死亡。その後妹一人。従って、実質的に二人っ子。
小田原に育ち小田原城周囲の城内小、城山中、小田原高を経て中央大卒業。大学二年一八才の時父死亡。東京修習の後、昭和四四年一弁登録。イソ弁二年後、神田で独立。六二年小田原に自宅兼事務所を建てて、当会入会。その前の五〇年家庭医の一人娘と結婚。九二才の母、二女、妹、メス猫のクロッチ。岳父母も一緒に暮らしていたが、四年前までに死亡。岳父が死んでから女性に囲まれている。
(2) ゴルフ(伊豆大仁CCでは一応ハンディ一〇)、俳句、ハイキング、旅行。将棋は初段で一五年前に駒を置いた。
(3) 凝り性だが飽きっぽい。緻密なようで抜けている。我がまま。くよくよはしない。
(4) 好きなもの、寿司とビール、飲みニュケーション。野球は巨人だった。相撲は栃錦、柏戸。プロゴルファーは去年コーチを受けた前田新作。俳人は森澄雄、飯田龍太。嫌いなもの、男女を問わずはっきりしない人。
(5) 司法改革には理想と現実があり、次期理事者としては現実に即しつつ、少しでも理想に近づいていくという姿勢をとることになると思います。次期副会長の皆さんは皆素晴らしい方々で勇気を与えられています。時代の風と流れを見すえて誤りなきを期したいと思いますので会員の皆様のご協力をお願いします。
弁護士に何ができるかを考えつつ
 次期副会長  青木 孝(37期)
(1) 昭和二二年七月一二日生、出身は三浦市、横浜市立大学、卒業後横浜市の課税職員を七年間、生家は漁師だったので毎朝海の上から富士山を見上げていた、ちょうど、朝日を背にすると正面(西側)に富士山、左方に大島、右方に江ノ島が見えた。
(2) どこでもぶらぶらすること、秋葉原の電気街などをぶらぶらするのは最高、今は、時間の合間に喫茶店などでさぼることぐらい(時折行方不明になるのが特技といえば特技)。
(3) 少し楽観的らしい、毎朝海と空をみていたせいか、所詮、自然には、とてもかなわないといつも思っていることぐらい、また、人間は生きている方が不思議と思っている。
(4) 好きなものは食べ物では刺身(三ヶ月毎夕食べたこともある)、結末がわかって安心(?)できる推理テレビなどや、なにもしないでゆっくりするのもいい、いつも初対面の人には大酒飲みと思われるがほとんど飲めない(但し食べる)。
(5) 変動期であるのは事実、市民にとって、弁護士にできることが何であるのか考えながら、他の副会長とともに、会長を補佐して、やっていきたい。
縁の下の力持ちに
 次期副会長  (37期)
(1) 私は一九五四年に川崎で生まれ、小学校時代を川崎で過し、その後はほとんど横浜で暮らしています。
(2) 趣味はゴルフということにしています。私の腕前では恥ずかしいのですが、本当の趣味を言うのはもっと恥ずかしいからです。私は、自分では義理人情に篤い、単純な性格だと思っています。浪花節的といえますが、私は落語的といいたいと思っています。
(3) 年齢的には脂の乗り切った世代ですが、人間的とくに女性的魅力に乏しいのは、あまりに分かりやすい性格で、ミステリアスな部分がないからであろうと自己分析しています。でも本当は、脂が乗り切っていることが原因かもしれません。
(4) このような者に副会長が務まるのか、自分でも不安ではありますが、できれば、会長、他の副会長、会員の皆様、事務局の皆様がその力を遺憾なく発揮できるよう、縁の下の力持ちのような存在になりたいと思っています。
(5) 私が職責を果たしていないとお気づきの時は、叱咤し、激励して下さい。叱咤だけではめげてしまい、激励だけでは調子にのるタイプです。厚かましいとは存じますが、よろしくお願いいたします。
出しゃばらず、こつこつと
 次期副会長  尾立 孝司(38期)
(1) 昭和二七年五月二二日生、育ちは信州、県立上田高校、中央大学、明治大学大学院修了、家族は権威のある妻と、やさしい黒ラブ一匹です。
(2) ゴルフ(今、伸び盛りなのですが…、ライバルたちは副会長になったことをとてもトテモ喜んでくれています)
テニス(大学一年から。かつてフライングトドと呼ばれたこともありましたがもう重くて飛べません)
スキー(小さい頃から信州の山々で滑ってました)
スキューバダイビング(ある日どうしても履けなくなったウエットスーツを妻に捨てられました)
(3) よく言えばポジティブ、客観的に見れば極楽とんぼであります。おしゃべり好きとの風評もありますが、ちょっとだけです。
(4) 好きなものはチャーリー(黒ラブ)と妻(妻がこの記事を読む確度は高い)、それとお好み焼き
(5) 友人らの「出しゃばりすぎないように」というアドバイスを守り、会長を補佐して、一つ一つこつこつとこなしていきたいと思っています。
会のために働きます
 次期副会長  古川 武志(38期)
(1) 昭和二九年一月一六日生。逗子に生まれ育ち、現在も逗子に在住。湘南高校、一橋大学卒。家族は、妻と一一歳の長男、八歳の長女、六歳の次男。
(2) 趣味と言えるようなものは残念ながら有りません。休日は、長女、次男と遊んだり散歩を楽しんだり長男の勉強をみたりしています。自分でもよい父親だと思います。家族が趣味と言えなくもありません。
(3) 自分では由緒正しい本物の湘南ボーイだと思っているのですが、そう言うと顔を見てせせら笑う人がいるのは何故でしょうか。
(4) 好きなことは、昼寝すること、旅行すること、経済や心理学関係の一般向けの本を読むこと、おいしいものを食べること、おいしいお酒を飲むことです。お酒は吟醸酒と白ワインが好みです。嫌いなことは、大勢の前で挨拶をすることです。
(5) 粉骨砕身、誠心誠意、会のために働きます。これまでさしたる会務の経験も有りませんが、宜しくご指導くださるようお願い申し上げます。
地道にやっていきたい
 次期副会長  田中 隆三(39期)
(1) 昭和二八年二月二八日に東京で生まれ、小学校三年生の時に藤沢市に転居しました。現在は、横浜市港南区に妻と中三の長男、中一の次男の四人で暮らしています。慶応大学を卒業して暫くして司法試験に合格し、修習は三九期です。
(2) ゴルフです。ゴルフ以外にはありません。以前は夜の関内の街を徘徊することもあったのですが、健康も考えてゴルフ一辺倒になっています。しかし、ゴルフの腕前は特に最近下降気味なので、趣味と苦役の間を行きつ戻りつしています。
(3) 「人の川」に竿をさし続けて、その流れにまかせて今日に至っているようです。
(4) 飲食での好き嫌いはありません。皆で楽しく酒を飲む雰囲気は大好きです。
(5) 大変な時期なので、肩の力を抜いて、できることを地道にやっていくしかありません。
結果として会長を少しでも多く補佐できれば良いと思っています。

山ゆり
 東急東横線の新丸子に住んで三年以上経つ。この街に住むのは二度目で、前は小学校三年から六年間住んでいた。引っ越ばかりしていた私にとって、ここは二番目に長く住んでいた懐かしい街なのだ
 先日、八カ月の息子をベビーカーに乗せ、前に住んでいた家の近くまで二人で散歩に行った。この三年間、なぜか近づかなかった思い出の場所だ
 父とキャッチボールをした駐車場。ダンプカーの運転手に怒鳴られても懲りずに遊んでいた砂利置場。一〇円玉を握り締めて今日は何にしようかと悩んだ駄菓子屋さん。全て見慣れないマンションになっていた。あんなに広かった小学校の校庭も今見ると猫の額のよう、家から小学校までの長い一本道も今ではあっという間だ。近づかなかったのは思いでの街が変貌しているのを見たくなかったからかもしれない
街が変わったのと同じように時の流れも変わってしまった。小学生のころは一年がとても長く感じたが、今では一年は瞬く間に過ぎていく。これはおそらく心に残る思い出が少ないからだろう。遊びに行って楽しい思い出がいっぱいあれば、一年はもっと長く感じるに違いない イラスト
 仕事に追われる毎日を自戒しつつ、目の前にいる歯が生えかけの息子を眺める。小学生だった私はいつの間にか親になっている。図画工作が好きだった私はどういうわけか弁護士になっている。この子は何になるんだろう。私はこの子にどんな思い出をあげられるんだろう。少なくとも自分が親からもらったのと同じくらいの思い出をあげたい。「物より思い出」、まさにそのとおりだ。
(浦田修志)

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