横浜弁護士会新聞

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2002年2月号(2)

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当番弁護士の申込み受付の留守番電話が新しくなりました
 土・日曜日、祝日、年末年始など弁護士会休館日の当番弁護士申込みは、当番弁護士派遣の申込みを録音し、当番弁護士が外からそれにアクセスをして申込みを聞き出し、出動するシステムがとられている。
 しかし、五月の大型連休や年末年始のように長期間の休みには、従来の磁気留守番電話では、録音用の磁気テープが一杯になってしまい録音ができなくなるため、休みの途中でテープを取り換える必要があった。職員を連休半ばや正月に出勤させることも難しいため、これまで理事者が正月にテープを取り換えにきたこともあった。
 また、従来の留守番電話は磁気テープのために、当番弁護士がテープを念のため巻き戻して初めからメッセージと出動の漏れはないか確認するのに、長期間の休みの最後のほうの当番弁護士の場合には一時間以上もかかるという不便さが指摘されていた。
 このようなことから、昨年一二月初めから長期間録音可能でメッセージの整理ができる留守番電話に機種を変えたのである。刑弁センターでは、新機種のアクセス方法などにつき更に改善すべき点があれば、どんな意見でも寄せて欲しいといっている。
 新しい留守番電話機の特徴は以下のとおりです
(1)操作のガイドが流れます。
(2)デジタル録音なのでメッセージの聞き直し等が素早くできます。
(3)当番弁護士聞き取り専用の電話番号を設けることで操作しやすくなります。
(4)当番弁護士が、各自で担当するメッセージは、未処理の申込みと弁護士引き継ぎメッセージのみとなり聞き取り時間が短縮されます。
(5)操作方法がわからなくなった場合、ナショナルメディア株式会社弁護士プロジェクト担当者のサポート(フリーダイヤルで操作方法を案内してくれます)を受けることが出来ます。
(副会長  木村 保夫)

第55期修習生 合同就職説明会−全国から48名の修習生が集まる−
私を横浜に還してください!
 一二月一五日弁護士会館において「五五期修習生合同就職説明会」が開催された。遠隔地の修習生が参加できるよう土曜日の午後三時からの開始としたが、札幌から福岡まで四八名の修習生の参加があった。
 これまで、当会の求職・求人情報が表面化せず、とかく「水面下」で行われていたが、これをオープンにし、双方が情報を共有化できるよう理事者が今回初めて企画したものである。
 始めに理事者及び各支部代表者から本支部の組織や活動内容等一般的説明がなされ、その後、求人側による事務所紹介、修習生による一分間の自己PRがなされた。
 支部への就職勧誘の熱いメッセージ、修習生の「私を横浜に還してください!」などといった当会への強い就職希望がひしひしと伝わって来たが、参加求人事務所が一一(参加求人名簿一七)と少なかったのが若干残念であった。
 しかし、給料・個人事件の可否・経費分担の有無等を中心に真剣な質疑応答もあり、あっという間の二時間であった。
 その後は場所を移し中華街で懇親会を行ったが、多くの修習生から「具体的な就職情報を知ることができて有意義だった」「今後も説明会を実施して欲しい」との意見が寄せられたのが印象的であった。
(佐藤 修身会員)

私の独立した頃(98) 関 一郎会員の巻
三段階の独立を経験
(独立の経緯)
 私の独立は他の弁護士とは少し違っています。私は二五期で実務修習地は広島でした。当初から独立を考えておりましたが裁判所の状況や仕事の処理に不安がありましたのでイソ弁をすることにしました。
 イソ弁先を捜しておりましたところ、私の条件に一致する事務所がありました。私は給料は少なくてもよいので時間を自由に使えるようお願いしましたところ、快く理解してくれました。
(第一段階の独立)
 昭和四八年四月から横浜市内の尾上町にありました宮森事務所に就職しました。イソ弁といっても指導してくれた宮森先生が大らかな人でしたので事務所の事件としてはイソ弁期間中手持事件としては一〇件以内と記憶しております。時間は十分ありましたので国選事件、会の活動、友人、知人からの紹介事件などを自由に行っておりました。
(第二段階の独立)
 その一年以内に尾上町のビルが改築することになり、海岸通りに一時移ることになりました。それを機会に宮森先生にお願いし、約一三坪ぐらいの隣接した部屋二室を借りていただき、私専用の部屋を一室確保しました。
 宮森先生と同事務所の事務局員は先生の部屋で、私は一人が使用し、電話も共通にしておりました。事務所の家賃は宮森先生に負担していただき、給料方式から歩合方式に変わりました。途中から私の部屋に私専用の事務員も採用しております。
(第三段階の独立)
 昭和五一年宮森事務所に三年間籍を置いて後、日本大通の矢沢ビルで同期の四名で関内事務所を設立しました。この場合も同期の二名が四階の一室で事務所を開設しておりましたところ、同階の他の賃借人が退去したので同階全部を使用する話が持ち上がり、結局四人ではじめたのです。
 この事務所の経営は共通経費を公平に分担することのみで、事務所の方針などは全く定めておらず、各人が自由に活動しておりました。
 私の場合は場所の変更ごとに独立の内容が変更して行きました。活動自体は弁護士登録以来あまり変わっておりません。
(経営の状態)
 第一段階の独立では少し給料をもらっておりましたのでそれほど不安はありませんでした。第二段階の独立では家賃の負担はなく、歩合の給料をもらっておりましたのでそれほど心配はありません。第三段階は四人で事務員の人件費、家賃等を負担しておりましたので多額の費用の出費はありませんでした。
 この頃は少額事件や国選弁護事件が多かったように記憶しておりますが、生活が地味であったせいか、貯金の残高が増加していませんが借金も特になかったように記憶しております。
(事件や会の活動)
 時間は十分にありましたので興味あることを自由にやりました。特に消費者事件(石油ヤミカルテル事件、マルチ商法事件)は積極的に行いました。
 石油ヤミカルテル事件は山形県鶴岡市に毎月一回、マルチ商法事件では福岡、大阪などへ休日でも出掛けておりました。また、二五期の仲間で税法の研究会を行っておりましたので、脱税事件などの弁護を積極的に行いました(当時は国選弁護で脱税事件がありました)。
 会の活動としては公害対策委員会の人権擁護委員会に参加しておりました。
 今考えるとそのころの事件はほとんどお金にならなかったような気がしますが、その後の弁護士生活に大いに役立ったように思っております。楽しさも少なくとも今よりは多かったように感じます。

協同組合バザー盛況にて終わる
目標上回る成果
 神奈川県弁護士協同組合主催のバザーが、平成一三年一二月一四日、横浜弁護士会館五階大会議室で開催されました。開催時期が若干早いことから、商品が集まらないのではないかと心配されましたが、皆様のご協力により、昨年同様多くの商品をそろえることができました。
 当日は予想に反して横浜地裁の職員の方が少なく、お客様の人数はあまり多くありませんでしたが、的屋の経験があるのではないかと思われるH弁護士をはじめとする販売担当者の威勢のよい売り声で、販売開始後三〇分で商品は完売しました。
 売上総額は目標を上回る成果を上げました。皆様本当にありがとうございました。
(高岡 香会員)

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